【『花郎』の歴史解説】新羅は国を守るために常に百済(南扶余)を警戒していた

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NHK・BSプレミアムで毎週日曜日に放送中の『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』は、後半に入って佳境に入っている。

9月19日に放送される第15話では、南扶余(ナムブヨ)の昌(チャン)王子を相手にして、「自分が新羅(シルラ)の王なのだ」とソヌ(パク・ソジュン)が自ら名乗り出ていく。それは、仲間たちを助けるために仕方がなかったのだ。

さらに、ソヌは昌王子を相手に一対一の勝負に挑んでいく……。

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このように物語は展開していくのだが、当時の歴史を知っておいたほうが、よりドラマを楽しめるのは間違いない。そこで、『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』が描いている550年代以降のことを解説しよう。

その頃は新羅と百済(ペクチェ)が仲良くなったり険悪になったりしていた。

なお、ドラマでは百済のことを「南扶余」と表記していた。これは、当時の百済を統治していた聖王(ソンワン)が国号を「南扶余」と変えたからだ。これは史実に即した話であり、朝鮮半島で最古の正式な歴史書と称される『三国史記』にも「538年に国名を南扶余にした」と書かれている。その歴史をドラマも踏襲しているのである。

そして、550年代ではお互いに協調したほうが有利に運ぶので、新羅と百済は和議を結ぼうと努力していたのだ。

三国時代での新羅と百済の関係はどうだったのか

百済の発展

そうした経緯は『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』の第15話にも出てくるが、ソヌが相手にした昌王子というのは、どういう人物なのだろうか。

彼は百済の第26代王の聖王の息子であった(聖王は日本に仏教を伝えた国王であり、日本では聖明王として知られる)。

聖王が554年に世を去ったので、昌王子は第27代王・威徳王(ウィドクワン)として即位した。彼は百済の発展に尽くし、特に中国と良好な関係を築くために尽力した。

亡くなったのは598年である。つまり、彼は44年間も百済の王位を守り続けたのである。

一方、『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』でパク・ヒョンシクが扮しているジディは、新羅の24代王・真興王(チヌンワン)のことだ。

ドラマの中でジディは国王であることを隠して花郎のメンバーになるが、史実では、真興王が花郎を創設したと言われている。

彼は540年に即位して576年に世を去っている。つまり、550年代半ばから570年代半ばまでは、百済の威徳王(昌王子のこと)と新羅の真興王が直接対峙していたのである。そのことを踏まえて『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』を見ると、古代の状況が少しでもわかって、本当に興味深くなってくる。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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