韓国時代劇では、王妃、側室、宮女など数多くの女性が登場し、王の寵愛を受けるため愛憎劇に身を委ねるストーリーが展開される。
そして、激しい嫉妬やいやがらせを勝ち抜いたヒロインが王と結ばれるというのが王道ではないだろうか。
ただ実際には、王と女性たちの関係は国家の管理下におかれ、後継者をつくるという目的のために特化されていたようだ。
第3代王・太宗や第9代王・成宗、第11代王・中宗などは、記録に残っているだけでも10人を超える側室を抱えていたが、王が数多くの側室を抱えた理由は、王妃とのあいだに後継者ができない場合を想定した「リスクヘッジ」という側面が強かった。
当然、夜の営みも国のしきたりで厳重に管理されており、国家儀礼として位置づけられていたのだ。
『朝鮮王朝実録』などには、王の夜の営みについて詳細に残された記録は見当たらない。ただ、朝鮮王朝末期に王宮で勤務していた宮女たちの証言が、わずかながら残っている。
彼女たちによると、王と女性たちの夜の営みは一定のプロセスを踏むことを義務づけられていたという。
まず、王は相手となる女性とともに寝る約束を果たし、その日時を決定するというのが決まりだったようだ。ただその場合も、王のタイプである女性を手当たり次第選ぶということはありえず、後継者の妊娠という観点から公平に選ばれなければならなかったとされる。
そこで登場するのが「大殿尚宮」という女官だった。大殿尚宮は王妃や側室のイルチン(運勢)を見て、妊娠しやすい周期にある女性を、王にアドバイスしていたとされる。
そうして夜を過ごす女性が決まった後は、寝室の用意が始まる。担当したのは、王宮で働く宮女たちだ。寝室には布団の他に、蚊帳、水にぬらしたタオル、人を呼ぶ鈴、尿瓶、針などが用意されたという。
王と女性が寝室に入ると、用意をしていた宮女たちは即座に撤収する。そして、「宿直尚宮」という役を仰せつかった60~70代の女性たちが寝室の用意を最終確認し、はれて夜の営みがはじまった。
ちなみに王と女性が寝床をともにする寝室の周りには、8部屋の待機室があり、そこには宿直尚宮たちが待機していたとされる。
興奮を抑制するために、「オッチェル センガク ハシヨ クマンハシプシオ(お身体にさわりますので、もうおやめください)」など的確なアドバイスを送ったとされる。
王は行為に集中できたのかと考えることは無粋である。血脈が王位の証であった朝鮮王朝にとって、夜の営みは国家存亡をかけた真剣勝負だったに違いない。
一方、次世代の王候補を授かることは、女性たちにとって一生に関わる問題。一例では、王子を生めなかった側室は、王の死後に王宮を追いだされるというしきたりがあった。
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何が何でもチャンスを逃すわけにはいかない“王の女たち”は、懐妊前、懐妊後問わず、子宝に恵まれるべく、精がつく料理を重宝していたという。胡桃、豆腐、筍、あわび、鰈、いわたけなどを使った胎教料理も開発されている。また、黒豆や黒ゴマを使ったスイーツも、女性たちは好んで口にしたとされている。
王妃や側室以上に大変だったのが、王宮で働いていた宮女たちだ。
宮女たちは幼い頃に入宮するのが一般的。しかも、定義上は王の所有物となったため、恋愛などもってのほかで、生涯独身を貫かなければならなかった。
歴史上には、数人の宮女が側室にまで上り詰めた例があるが、それらは奇跡に近い確率だったといえよう。
そこで、宮女たちのあいだで蔓延したのが「対食(テシク)」だった。これは「対面して食事をする」という意味だが、同時に「同性愛」の隠語でもある。
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朝鮮王朝後期の『英祖実録』や『燕山君日記』には、宮女たちが同性愛に走った様子が書きとめられている。それらによると、宮女たちの同性愛はお互いの体に入れ墨を入れ永遠の愛を誓うなど、一種の文化にまで発達していたようだ。また、恋愛関係のもつれから嫉妬が生まれ、宮女内の派閥争いに発展したという記録もある。
また、王妃候補だった女性と宮女の「対食」スキャンダルも記録として残っている。
第5代王・文宗が世子だった頃に妃になった世子嬪奉氏が、そのスキャンダルの主人公だ。名君であった父親・世宗の後を継ぐことになっていた文宗は、勉強に集中し過ぎるあまり世子嬪奉氏を顧みなかった。
すると、世子嬪奉氏は悲しみのあまり、召雙(ソサン)という宮女と「対食」してしまう。スキャンダル発覚後、2人は王宮を追放されてしまうのだった。
韓国時代劇では、おしとやかでひとりの男性を一途に想い続ける女性像がよく描かれるが、実際の王朝内の事情は、もう少し複雑だったようだ。
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