朝鮮半島の歴史を見ると、男性の偉人は数多いのだが、女性は少ない。政治や文化を仕切っていたのが男性だったからだ。その中でも、女性に限定して偉人をピックアップすると、堂々たる3人が登場してくる。順に紹介していこう。
【関連】善徳女王は傑作ドラマが描いたような名君だった●善徳女王(ソンドクヨワン/?~647年)
イ・ヨウォンが主演したドラマ『善徳女王』では、善徳女王の激動の生涯が生き生きと描かれているが、史実の彼女もまた優れた統治者であった。新羅(シルラ)という古代王国の頂に立ち、穏やかさと鋭さをあわせ持つ政治で人々を導いた。
643年、隣国・唐の冷たい態度が胸を突いた。支援を求めた女王に返ってきたのは、「女が王だから他国に侮られるのだ。我が王族を新羅の王にすれば援軍を送ってやろう」という冷酷な申し出であった。
しかし、善徳女王は毅然として立ち上がり、「自らの力で国を守ろう」と宣言した。その言葉には、重く澄んだ決意と、国を想う静かな炎が宿っていた。彼女は兵士たちを鍛え、国に勇気と誇りをもたらしていった。
●黄真伊(ファン・ジニ/生没年不詳)
燃えるような美しさと言葉の光を自在に操る才気を併せ持った女性…それが黄真伊である。時代劇『ファン・ジニ』では、ハ・ジウォンがその美しくも哀しき生涯を演じ、多くの視聴者の心に余韻を残した。実際の黄真伊は、10代のころから息をのむほどの美貌を備えていた。その美しさに心を焦がした若者が命を絶つという、痛ましくも情熱的な事件があったという。
やがて妓生(キーセン)として生きる道を選ぶが、詩や歌の才能がきらめくように冴えわたり、彼女の作品は今も韓国の教科書に掲載されている。彼女の言葉は、何世代も人々の心を揺らし続けている。
●申師任堂(シンサイムダン/1504~1551年)
やさしさと知恵を持った母であり、自然の命を見つめる芸術家だった。そんな申師任堂は朝鮮王朝において「良妻賢母の鑑」と称えられた。幼き日から彼女は絵筆に魂を込め、詩の言葉に心を宿らせた。ある日、庭に干していた虫の絵を本物と思い込んだ鳥がついばみにきた、という逸話が残っている。それは、彼女の観察眼と技術が自然そのものと響き合っていた証であろう。
現代の韓国では、5万ウォン紙幣にその肖像が描かれ、今なお人々に親しまれている。彼女を主人公としたドラマ『師任堂(サイムダン)、色の日記』では、イ・ヨンエがその凛とした姿を演じ、母としての優しさと芸術家としての情熱を丁寧に描き出している。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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