2017年に制作されたドラマ『師任堂(サイムダン)、色の日記』では、イ・ヨンエが2003年に放送された『宮廷女官チャングムの誓い』以来13年ぶりにテレビドラマの主役として戻ってきた。彼女が演じたのは、朝鮮王朝時代に「良妻賢母の鑑」と言われた申師任堂(シン・サイムダン)である。
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ドラマでは、申師任堂の女性としての波瀾万丈な生き方をスリリングに描いている。果たして史実では、申師任堂はどのような女性だったのか。
彼女は、1504年に生まれて1551年に亡くなった朝鮮王朝時代の女性芸術家だ。今の韓国では5万ウォンという最高額紙幣の肖像画になっている。
申師任堂は、7歳のときに有名な山水画を模写したが、出来がとても良かった。大いに褒められたが、申師任堂は「写すだけでは満足できる絵は描けません」と平然と言ったという。幼くても自信があったのだ。
あるとき、彼女が虫を描き、庭で絵を乾かしていると、ニワトリが本物の虫と勘違いして食べ始めた。それほど、躍動感にあふれた絵画だったのだ。
絵画と詩歌で卓越した能力を発揮した申師任堂。結婚後は、7人の子供たちを育てた。
夫の李元秀(イ・ウォンス)は、「科挙に合格するまで帰ってこない」と宣言して都に行ったが、すぐに挫折して帰ってきてしまった。すると、申師任堂は裁縫箱からハサミを取り出して、自らの命を断とうとした。
「約束を守れないなら、この世に未練はありません」
驚愕した李元秀は、自分の甘さを妻に詫びて、今度こそ科挙に受かるまで帰ってこなかった。
結局、申師任堂は家族のために人生を捧げた。衰弱したのは47歳のときで、彼女は夫にこう願った。
「私が死んでも再婚しないでください」
当時は、妻が亡くなると夫が新しい妻を迎えることが普通だった。すると、子供が継母とうまくいかないことも多かった。それで、申師任堂は夫に再婚しないように頼んだのだ。
1551年に亡くなった申師任堂。彼女の三男の李珥(イ・イ)は後に儒教の大家になり、5千ウォン紙幣の肖像画になっている。このように、母と息子が一緒に韓国の紙幣の肖像画を飾っているのだ。
【申師任堂の人物データ】
生没年
1504年~1551年
主な登場作品()内は演じている俳優
『師任堂(サイムダン)、色の日記』(イ・ヨンエ)
文=大地 康
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