【『イ・サン』の恋人ソンヨンの正体】ナゾ多き「魔性の女」だった?

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傑作時代劇『イ・サン』のヒロインは、ハン・ジミンが演じるソン・ソンヨンだ。ドラマの中では、心が透き通っていた慈悲深い女性として描かれていた。しかし、本当の姿はどうだったのか。人生の重要な部分を追いかけてみよう。

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本名は成徳任(ソン・ドギム)で、歴史的に宜嬪・成氏(ウィビン・ソンシ)と称された。

秀でた美貌の女性だった成徳任は、1753年に生を受けた。彼女は9歳のときに王宮に入り、イ・サンの母親である恵慶宮(ヘギョングン)の配下となった。そこで彼女は自分の運命を刻み始めたのだ。そして、彼女はイ・サンと初めて接触を持ち、彼との親密な関係が芽生えたのである。

その愛は難解で矛盾したものであった。彼女は、イ・サンが妻の孝懿(ヒョウィ)王后と良好な結婚生活を送っていると知りながら、その男性に心を奪われた。それでも、成徳任は難解な状況をうまく乗り越え、自身の心の情熱を保ち続けた。

彼女の愛に対する一途な気持ちは、むしろ潔い態度に深く反映されていた。成徳任は、イ・サンからの二度の求愛をあえて拒絶するという困難な決断を下した。これは、自身の感情と尊厳を守るためだった。そこまで強固な意志を持っていたところが「魔性の女」の真骨頂であった。

しかし、その道は彼女を再び困難な局面へと導いた。

『イ・サン』でハン・ジミンが演じたソンヨン

波乱万丈の人生

結果的に、成徳任は周囲の状況からついに拒絶できなくなり、宮女のままイ・サンの子供を身ごもることになった。しかし、流産が二度続いた。心の痛手は大きかった。

それでも、ついに成徳任は王子を産んだ。1782年9月のことであり、ソン・ドギムは正式に側室の宜嬪・成氏となった。さらに、1784年には王女も産んでいる。しかし、王女は2カ月足らずの命だった。直後に、王子が正式に文孝(ムニョ)世子というイ・サンの後継ぎになったのに、1786年5月に早世してしまった。

この悲劇は成徳任の命を極端に衰弱させた。彼女は妊娠していたのだが、1786年9月に命を終えた。本当に、波乱万丈の人生であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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