ドラマ『イ・サン』の主人公になっている22代王のイ・サン。ドラマの中では聖人君子のように描かれていて、庶民思いの慈悲深い国王になっている。史実でも彼の人物像は理想化されており、間違いなく朝鮮王朝時代を代表する偉人だ。
それほどイ・サンは「非の打ち所がない人物」だったのか。
実は、決してそうではなかった。彼も人間である。良い面だけではなく、「猜疑心が強い」「執念深い」「復讐心が強い」「非情だった」というコワイ面も持ち合わせていた。
たとえばイ・サンは1776年に国王になったとき、露骨に復讐心をあらわにしている。彼の父の思悼世子(サドセジャ)は老論派の陰謀によって米びつに閉じ込められて餓死してしまったが、即位してすぐのイ・サンは父を陥れた連中を根こそぎ極刑にしている。特に母の叔父やイ・サンの叔母の息子(養子)まで命を落としている。
とにかく、国王になって真っ先に行なったことが過激な粛清だった。後にあれほど名君と言われた割には最初から私情を出して自分の恨みを晴らしていた。
また、非情な面も強かった。洪国栄(ホン・グギョン)といえばイ・サンが一番信頼した側近である。しかし、洪国栄が権力を持ちすぎて増長したとき、イ・サンは洪国栄を見捨てている。もちろん、洪国栄の自業自得の部分も大きかったのだが、それでも最大の功労者をあっさり見限ったという非情な面を見せている。
さらに、イ・サンが亡くなるときの話だ。1800年、48歳の彼は急に高熱を発して病に伏せった。そのとき身近に優秀な主治医がいるのに、あえて彼らの診察を受けようとしなかった。むしろ地方の名医をわざわざ呼んで診察を受けている。これでは国王の命を守ってきた侍医たちの面目は丸つぶれである
なぜイ・サンは侍医たちの診察を受けなかったのか、それは極度に暗殺を恐れた結果であった。つまり、侍医たちが反対勢力に買収されていると疑ったのだ。また、イ・サンは薬の調合場面も自ら視察して細かくチェックしている。逆に言うと、自分以外の人間をまるで信用していなかった。
これが、イ・サンという人間の本当に怖いところであった。とてつもない名君として評判のいいイ・サンであるが、実は裏の顔ではゾッとするほど人間不信に陥っていた。結局、彼は誰も信じない人生を最後まで貫いた、としか言いようがないのだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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