朝鮮王朝には27人の国王がいたが、クーデターで廃位となったのは10代王・燕山君(ヨンサングン)と15代王・光海君(クァンヘグン)の2人だ。以前は、この2人が暴君と呼ばれていたが、歴史の研究が進むと光海君には政治的な業績が多いことがわかり、「むしろ名君だったのでは」と評価がガラリと変わってきた。
【写真】韓ドラ時代劇には欠かせない変幻自在俳優キム・ヨンチョルとは?
その光海君に代わって暴君と呼ぶにふさわしい非道な国王が2人いる。それを合わせて、3人の暴君を一挙に紹介しよう。
●三大暴君1/世祖(セジョ/在位期間1455~1468年)
世祖はとんでもない国王だった。彼には王位継承権がなかったのにもかかわらず、甥の6代王・端宗(タンジョン)を支える重臣たちをことごとく殺害して、完全に権力を掌握し、王位を強奪する形で世祖は強引に7代王になってしまった。さらに、端宗を流罪にしたうえで死罪にしている。冷血漢であり、あまりに非道であった。
●三大暴君2/燕山君(ヨンサングン/在位期間1494~1506年)
朝鮮王朝の最悪の暴君と言えば、やっぱり問答無用でこの人だ。酒池肉林に明け暮れ、臣下を何度も虐殺する大事件を二度も起こしている。さらに、側室の張緑水(チャン・ノクス)と共謀して国家財政を破滅させるほど散財を繰り返した。1506年にクーデターで王宮を追われたのも当然のことだった。
●三大暴君3/仁祖(インジョ/在位期間1623~1649年)
クーデターを主導して光海君を王宮から追放して自ら即位したが、国王になってからは失政続きだった。それほど無能だったのに、人間的にも失格者で、とても出来が良かった息子の昭顕(ソヒョン)世子を1645年に毒殺したと言われている。さらに、昭顕世子の一家も滅ぼしてしまった。本当に、救いようがない悪人である。
以上の3人が、間違いなく「朝鮮王朝の三大暴君」と言える。彼らが行なったことはあまりに残虐であり、本来なら国王になっては絶対にいけない人間失格者だった。そんな人が国王になってしまったことが朝鮮王朝の悲劇だった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【写真】『七日の王妃』の悪役イ・ドンゴンの愛すべき主演ドラマは超大ヒット作⁉
前へ
次へ