【『七日の王妃』の総括/燕山君】悪評まみれの暴君の人生とは?

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時代劇『七日の王妃』でイ・ドンゴンが演じた燕山君(ヨンサングン)。ドラマでは、ただの暴君ではなく彼なりの苦悩が感じられる描き方であったが、実際の燕山君はどんな人生を歩んだのだろうか。

【写真】『七日の王妃』でイ・ドンゴンが扮した燕山君は史実でどれほど恨まれたのか

燕山君は1476年、9代王・成宗(ソンジョン)の長男として誕生した。

母親の斉献(チェホン)王后は成宗の顔を引っ掻いたことによって、1482年に死罪になってしまう。そのために、燕山君は母親の愛を知らずに育った。

幼いころからわがままだった燕山君。彼は世子(セジャ/王の正式な後継者)のころに帝王学を学んだが、教育係の師匠があまりにも厳しかったので恨みに思い、後に死に至らしめている。そういう意味では、執念深い人間だった。

1494年、10代王になった燕山君は、徐々に本性をあらわし、悪政を行なうようになった。

『七日の王妃』ではイ・ドンゴンが燕山君を演じた(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved
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燕山君を追放するための計画

その暴政は年々ひどくなり、朝鮮王朝の最高学府である成均館(ソンギュングァン)を酒宴場に変えて酒池肉林を繰り返していた。
虐殺事件も二度起こしている。

最初は「戊午士禍(ムオサファ)」。道義と名分を重んじる良識派の高官たちを容赦なく弾劾して、多くの死者を出している。

二度目は1504年の「甲子士禍(カプチャサファ)」だ。このときは、母親である斉献王后の死罪に賛成した人たちを根こそぎ虐殺した。すでに亡くなっている人については、墓を掘り返して首をはねてしまった。あまりに残虐だった。

国内政治でも重税で庶民を苦しめた。困った人々が「王は女と酒のことしか考えていない最低の人間だ」と燕山君を批判する文を市内に掲げると、人々がハングルを使うことを禁止してしまった。

とにかく、燕山君は多くの人から大きな恨みを買っていた。その中で復讐を誓ったのが、官僚の朴元宗(パク・ウォンジョン)だ。

彼の姉は燕山君に犯されて自殺している。朴元宗は絶対に恨みを晴らしたいと思い、同志として成希顔(ソン・ヒアン)と柳順汀(ユ・スンジョン)を仲間に加えて、燕山君を追放するための計画を練った。

1506年、クーデターは成功して暴君は廃位となり、江華島(カンファド)に流罪となった。その2カ月後、燕山君は急に世を去った。死因については病死説と毒殺説の2つがあるが、真相は明らかになっていない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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