『べらぼう』で利根川の決壊が描かれる!江戸も漢陽も洪水でどんなにヤバかったのか

2025年08月17日 歴史 #康熙奉コラム #写真
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NHK総合テレビで日曜日に放送されている大河ドラマ『べらぼう』は、日本橋で版元(出版社)を仕切る蔦屋重三郎(演者は横浜流星)が主人公になっている。その『べらぼう』では江戸の洪水が描かれるが、実際に起こったのは天明6年(1786年)7月14日のことだった。

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この年は、5月から長雨が続いていた。そして、7月に入ってからも雨が続き、利根川がどんどん増水していった。7月14日になると利根川の決壊が明らかになり、流域の栗橋から草加までが浸水し、その影響は江戸にまで及んだ。

この洪水によって打撃を受けたのが、政治を率いていた田沼意次(演者は渡辺謙)であった。というのは、田沼政権が特に力を入れていたのが、印旛沼と手賀沼の干拓事業だったからだ。順調に事業が進んでいたのに、利根川による浸水によって、干拓は壊滅的な打撃を受けてしまった。

利根川決壊による浸水がようやく収まってきたのは7月19日であったが、結局は水害によって印旛沼と手賀沼の干拓事業は中止になってしまった。田沼意次の衝撃はあまりにも大きく、彼が失脚する引き金になった。また、干拓失敗の責任を取らされた担当者は遠島という厳しい懲罰を受けた。

実際、江戸は水害が多い大都会だった。隅田川(江戸時代は大川と呼ばれていた)もよく氾濫したし、利根川も水害をよく起こしていた。それは、朝鮮王朝の首都であった漢陽(ハニャン/現在のソウル)も事情は同様であった。

隅田川
現在の隅田川は江戸時代に大川と呼ばれていて水害が多かった

危険と隣り合わせの大都会

漢陽の南側にあった大河の漢江(ハンガン)は、川幅がとても広かったが集中豪雨があったときは周囲が浸水に巻き込まれた。また、清渓川(チョンゲチョン)は漢陽の中心地付近を西から東へ流れていたが、梅雨の末期という長雨のときは氾濫も起こしていた。

こうした水害は、人口が多い首都の宿命であったかもしれない。それだけに、江戸も漢陽も治水対策が絶対に欠かせなかったのである。それでも防げないのが天災であり、大都会は危険と隣り合わせと言わざるをえなかった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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