傑作時代劇『トンイ』には、歴史上で有名な実在人物がたくさん出てきた。最初に亡くなったのは仁顕(イニョン)王后(演者パク・ハソン)で、1701年に世を去っている。その直後には張禧嬪(チャン・ヒビン/演者イ・ソヨン)が死罪になっている。
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その他の主要な登場人物の「その後」を見てみよう。
●淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ/演者ハン・ヒョジュ)
仁顕王后が世を去った後、トンイこと淑嬪・崔氏が王妃になれそうだったが、身分が低いということで無理だった。その後は王宮を出て、市井で静かに暮らした。1718年に亡くなっている。享年48歳だった。
●粛宗(スクチョン/演者チ・ジニ)
淑嬪・崔氏が他界した2年後の1720年に59歳で亡くなった。晩年は体調が良くなかったが、張禧嬪が産んだ息子を世子から交代させなかった。結局、長男であることを重視したという意味で、粛宗は儒教的な価値観を大事にした国王だ。
●仁元(イヌォン)王后(演者オ・ヨンソ)
仁顕王后が亡くなった後に王宮に入ってきて、1702年に王妃として冊封された。粛宗が亡くなった後は大妃(テビ)として君臨し、1757年に亡くなった。享年は70歳だった。
●世子=20代王・景宗(キョンジョン)
張禧嬪が産んだ世子は、粛宗が亡くなった1720年に即位している。もともと病弱で後継ぎがいなかった。それゆえ、異母弟を後継者に指名していた。当時は派閥闘争が激しかったが、最後まで異母弟のことを信頼していた。景宗は1724年に36歳で世を去った。
●延礽君(ヨニングン)=21代王・英祖(ヨンジョ)
景宗の後を継いで1724年に国王になった。朝鮮王朝にいた27人の国王の中で一番長寿となり、1776年に82歳で亡くなるまで52年間も王位を維持した。
80代まで生きた国王も英祖だけであり、丈夫な身体に産んでくれた淑嬪・崔氏に大いに感謝すべきであろう。国王として公平な人事を行ったことが歴史的にも高く評価されており、政治的には「名君だった」と称されている。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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