【朝鮮王朝/再評価された三大ダメ国王】中宗、景宗、哲宗はどう評価が変わったのか

このエントリーをはてなブックマークに追加

朝鮮王朝に27人いる国王の中で、歴史的にはダメな男と思われていたのに時代劇で意外に良い国王として描かれた人物がいる。たとえば、中宗(チュンジョン)、景宗(キョンジョン)、哲宗(チョルジョン)の3人が該当する。彼らは、本当はどんな人間で、時代劇ではどう描かれたのだろうか。

【関連】【『哲仁王后』の一番気になる「その後」】哲宗は最後までどんな人生を送ったのか

中宗〔1488年~1544年〕

11代王で、在位は1506~1544年である。もともと10代王・燕山君(ヨンサングン)の異母弟であり、燕山君が暴君すぎて王宮から追放された後に即位した。

「棚ぼた」で国王になった関係もあって、政治的に統治を担えるほどの力量がなく、業績を挙げることができなかった。しかも、燕山君を追放した高官たちにも頭が上がらず、国王ながら情けない部分が多かった。

しかし、『宮廷女官 チャングムの誓い』では立派な国王として描かれていて、韓国でも印象がとても良くなった。

『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』ではキム・ジョンヒョンが哲宗を演じた(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

景宗〔1688~1724年〕

20代王で在位は1720~1724年。わずか4年である。父親は粛宗(スクチョン)で母親は張禧嬪(チャン・ヒビン)。父親が亡くなった後に王位に就いたが、病弱だったために主体的な統治をすることが難しかった。しかも、性格が弱く、国王として威厳を保つことができなかった。

ただし、『ヘチ 王座への道』では異母弟の英祖(ヨンジョ)に対して、兄として優しい一面を見せて彼の即位を応援する場面もあった。そうした描き方は、景宗の人間的な温かさを世に知らしめる効果を生んだ。

哲宗(チョルジョン)〔1831~1863年〕

25代王。在位は1849~1863年である。もともと王族ながら、江華島(カンファド)で農民をしていて無学だった。23代王・純祖(スンジョ)の正妻だった純元(スヌォン)王后が権力を維持するために「操り人形」として国王に指名。18歳で王位に就いたが、結局は「酒と女で身を滅ぼした」という汚名を浴びた。

しかし、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』でキム・ジョンヒョンが演じた哲宗は理知的で民衆のための政治を行なう人物だった。ここまで良心的に描かれただけに、哲宗の評価はグッと挙がっている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

【関連】【『哲仁王后』のホントの歴史】哲宗は「操り人形」の情けない国王だったのか

【関連】【『七日の王妃』の総括/中宗】王妃を離縁した後の国王はどう生きたのか

【関連】【『ヘチ』の真実】果たして世弟は本当に景宗の死に関係していたのか

前へ

1 / 1

次へ

関連記事


RANKINGアクセスランキング

写真


注目記事