『ヘチ 王座への道』の第17話では、景宗(キョンジョン)が世を去った。このとき、チョン・イルが演じるヨニングンは「わざと王様を死なせたのではないか」という疑惑を持たれてしまった。
ヨニングンは世弟(セジェ/国王の後継者となる弟)として王朝のナンバー2だ。もし国王に万が一のことが起これば、ヨニングンが王位を継ぐ。そこで、彼があえて国王を殺したのではないかと高官たちが騒ぎ出した。
これは史実に沿った話なのだろうか。
そこで、景宗が世を去った当時のことを再現してみよう。
景宗の体調に異変が生じたのは1724年8月20日だった。
胸と腹に激痛があって診察を受けた。主治医は食あたりと診断し、景宗は安静にしていた。
しかし、一向に病状は回復せず、景宗の身体は衰弱するばかりだった。
このとき、世弟は奇怪な行動を取っている。それは、主治医の「食べ合わせがよくない」という反対にもかかわらず、世弟は景宗にケジャン(蟹を醤油漬けにした料理)と柿を食べさせているのだ。
世弟は「食欲が増して体力がつく」ことを理由にしていたが、主治医は懐疑的だった。
その他にも、景宗の治療法について主治医と世弟が対立した。特に、世弟は人参の煎じ薬の処方にこだわった。主治医は「この病状にはふさわしくない」と言っていたのにもかかわらず……。
結局、景宗は8月25日に亡くなった。
直後に、世弟は批判された。主治医と違う処方を強行していたからだ。
なぜ、世弟は医療の専門家である医官たちに逆らったのか。
彼が薬剤の知識に優れていたことは確かだが、結果的に景宗の命を救うことができなかった。それゆえに、批判されても仕方がないだろう。
景宗の在位はわずか4年だった。
その後を継いだ世弟は21代王・英祖(ヨンジョ)として即位し、その在位は52年という長期間に及んだ。
これだけ在位期間が長くなったのも、景宗の在位があまりに短かったことと大いに関係がある。果たして、景宗の死の真相は何だったのか。それは未だに謎である。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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