悲劇の王から毒殺説まで…27人の国王の中で「子供を持てなかった」君主たち

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朝鮮王朝の国王は世襲制で、男子にだけ王位継承権があった。それだけに、歴代王は後継ぎとなる男子の誕生を心から待望していた。もしも王妃が男子を産まなかったら、側室から生まれた年長の男子が王位を継承した。

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ただし、側室も男子を産まなかったら?

その場合は、国王の弟が王位継承権を受け継ぐ流れになっていた。

いずれにしても、国王の子供というのは、次代の王位継承権が密接に関係していた。それだけに、王子の誕生というのは王室の中でも最大の関心事であった。

調べて見ると、27人の国王の中で子供を持たなかったのは4人だ。順に顔ぶれを見てみよう。

『ヘチ』に登場した景宗には子供はいた?(写真出典=韓国SBS『ヘチ』公式サイトより)

3代王・太宗とは対照的

最初は6代王の端宗(タンジョン)である。

彼はわずか11歳で即位したのだが、14歳のときに叔父の世祖(セジョ)に王位を奪われ、16歳で死罪になっている。まさに「悲劇の国王」であり、この事情では子供を持てなかったのも仕方がない。

2人目は12代王の仁宗(インジョン)である。彼は継母の文定(ムンジョン)王后が産んだ異母弟の明宗(ミョンジョン)に王位を引き継がせるために、あえて子供を作らなかったと言われている。

そこまで思いやりを持っていたのに、結局は文定王后に毒殺された疑いがきわめて高い。孝行息子を殺したとすれば、文定王后は鬼のような悪女であった。

3人目は20代王の景宗(キョンジョン)である。

彼は張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子だったが、子供の頃から病弱で、成人しても子供を作ることができなかった。それゆえ、弟の英祖(ヨンジョ)を正式な後継者に指名していた。

そんな英祖は景宗を毒殺した疑いを持たれている。真相は不明だが、弟思いだった景宗がもし英祖に毒殺されていたとすれば、あまりに悲しすぎることだ。英祖の無実を信じたいのだが……。

最後の4人目は27代王の純宗(スンジョン)である。

彼は1907年に即位したのだが、その3年後には日韓併合によって朝鮮王朝が滅亡している。仮に彼に子供がいても、王朝がなくなってしまうので王位を引き継がせることはできなかった。

以上の4人が「子供がいなかった国王」である。29人も子供がいた3代王・太宗(テジョン)とは、あまりに対照的だった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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