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韓ドラになった歴史人/『ヘチ』を揺るがす「李麟佐(イ・インジャ)の乱」は本当か

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チョン・イル主演の『ヘチ 王座への道』。同作は、民のための政治を行った名君とされる朝鮮王朝第21代王。英祖(ヨンジョ)の若き日を描いているが、チョン・イルが演じた英祖(ヨンジョ)は、苦難の末に王位についても次々と苦難に見舞われる。

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大規模な反乱が起きることもあった。そうした反乱の首謀者になったのが李麟佐(イ・インジャ)であったが、彼は実在の人物であり、反乱は実際にもあった。

李麟佐が生まれたのは1695年。第4代王・世宗(セジョン)の四男である臨瀛大君(イムヨンテグン)の9代目の子孫として、都から東南側に130キロ離れた清州(チョンジュ)で産声をあげた。

李麟佐が反乱を勃発させたのは1728年。英祖が即位して4年目だ。即位前後から良からぬ噂が多かった英祖。英祖が兄の景宗(キョンジョン)を毒殺して王位に就いたとの噂もあった。

キャプション

その結果、英祖の対抗勢力だった少論派は「英祖が景宗を毒殺した」と猛反発。そんな少論派と巧みに結びついて1728年に反乱を起こしたのが李麟佐なのである。

清州城(チョンジュ/都から東南側に130キロ離れた都市)を攻めて占領した
李麟佐は自分から「大元帥」と称し、さらに「景宗の復讐だ」という大義名分を掲げるべく景宗の位牌をわざと用意して颯爽と北上し、怒涛の勢いで都に近づいていった。このときに王として担ぎ上げるのが密豊君でもあった。

しかし、王朝軍に大敗を喫して「李麟佐の乱」の乱は失敗に終わる。李麟佐は斬首され、密豊君は賜死を命じられる。1728年のことだった。

【蜜豊君の人物データ】
1688年2月28日~1728年3月24日
主な登場作品()内は演じている俳優
『テバク』(チョン・グァンリョル)
『ヘチ ~大王への道~』 (コ・ジュウォン)

(構成=韓ドラLIFE編集部)

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