ドラマ『トンイ』の主人公トンイは、歴史上では淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏と称された。その人生を振り返ってみよう。淑嬪・崔氏は1670年に生まれた。身分が低い女性で王宮の水汲み係だったと言われている。
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1688年、側室・張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗(スクチョン)の長男を産み、宮廷は歓喜と野心が入り混じる熱気に包まれた。その翌年、正室の仁顕(イニョン)王后は廃妃となり、張禧嬪がついに王妃の座に昇りつめる。
華やかな玉座の裏では、権力をめぐる熾烈な党派争いが渦巻いていた。仁顕王后を支援する西人派と張禧嬪を擁する南人派という二つの勢力の対立は、やがて嵐へと発展していく。
仁顕王后の廃妃によって西人派は没落の瀬戸際に立たされたが、彼らは一筋の希望を託して新たな女性を宮中へ送り込んだ。それが、淑嬪・崔氏であったと伝えられている。
1693年、淑嬪・崔氏は粛宗の子を懐妊し、無事に男子を出産した。しかし、わずか2カ月で早世してしまった。その悲劇の余韻が冷めやらぬ1694年4月、「張禧嬪の兄・張希載(チャン・ヒジェ)が淑嬪・崔氏を毒殺しようとした」という衝撃的な告発が国王に届けられる。
王宮は一瞬にして凍りつき、粛宗は怒りのなかで重大な決断を下した。張希載を済州島(チェジュド)に流罪とし、さらに張禧嬪を王妃から側室へと降格させたのである。空席となった王妃の座には、廃妃となっていた仁顕王后が復位した。こうして、権力の潮流は再び西人派に戻って行った。
同年の秋、淑嬪・崔氏は再び王子を産んだ。後の21代王・英祖(ヨンジョ)である。
1701年8月、仁顕王后が静かに世を去った。その40日後、宮中を震撼させる告発が再び起こる。淑嬪・崔氏が「張禧嬪が仁顕王后を呪詛(じゅそ)していた」と訴えたのだ。粛宗は怒りに震え、張禧嬪に対して死罪を申し渡した。あれほど栄華を誇った彼女は、一夜にして奈落へと落ちたのである。
王妃の座は再び空席となったが、粛宗は淑嬪・崔氏を王妃に昇格させなかった。その代わり、新たに仁元(イヌォン)王后を迎えた。
その一方で、淑嬪・崔氏は王宮の外で暮らすことになった。その末に、彼女は1718年に世を去った。享年は48歳だった。英祖が即位したのは、その6年後であった。
文=大地 康
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