【『ヘチ』『トンイ』の歴史解説】史実の粛宗はどういう状況で亡くなった?

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テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『ヘチ 王座への道』は、4月4日の第4話でとても大きな動きがあった。延齢君(ヨルリョングン)が密豊君(ミルプングン)によって殺されてしまったのだ。しかも、延齢君の死を知った粛宗(スクチョン)が衝撃で倒れ、その後に亡くなった。

【写真】『ヘチ』で粛宗を演じたキム・ガプス

雨の中、国王崩御の知らせを聞いて慟哭(どうこく)する人々。その中に、チョン・イルが演じるヨニングンもいた……。

そういう展開を迎えた『ヘチ 王座への道』であったが、史実では粛宗はどのように亡くなったのか。

それは、1720年のことだった。

粛宗は59歳になっていた。すでにヨニングンの母であった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ/『トンイ』の主人公)は1718年に世を去っていた。

写真上=韓国SBS『ヘチ 王座への道』韓国ポスター
写真下=『トンイ』ではチ・ジニが粛宗を演じた

政治的な後継ぎ問題

当時、粛宗の悩みは後継ぎ問題であった。

張禧嬪(チャン・ヒビン)が産んだ王子が世子(セジャ)になっていたが、彼には子供がおらず、能力的にも国王になるには荷が重いと思われていた。

そこで、粛宗が期待していたのがヨニングンだった。体調が良くなかった粛宗は側近に命じて、ヨニングンに摂政をまかせようと考えていた。

しかし、世子を支持する少論派の反対が強硬だった。対立する派閥の老論派はヨニングンを支持していたので、もしも粛宗がヨニングンの摂政を強引に進めると、政治が混迷するのが明らかだった。

それで、粛宗はヨニングンの摂政を強行できなかった。その間に粛宗の病状が悪化して、彼は帰らぬ人となった。

こうして、世子が粛宗の後を継いで20代王の景宗(キョンジョン)となった。

ドラマ『トンイ』では、チ・ジニが演じた粛宗の崩御が生々しく描かれたわけではなかった。政治的な後継ぎ問題も取り上げられていない。

しかし、現実的には、粛宗の次の国王をめぐって激しい政変が起きてしまった。とりわけ、少論派と老論派の対立は深刻だった。

そのことについて『ヘチ 王座への道』も詳細に触れている。粛宗が亡くなってから、ヨニングンはどうなるのか。彼もいよいよ正念場を迎えていくのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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