『べらぼう』が描く「文芸の時代」が朝鮮王朝でもどれほど共通していたのか

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NHKの大河ドラマ『べらぼう』では、18世紀後半の江戸で版元(出版社)として華々しく活躍した蔦屋重三郎(演者は横浜流星)の生涯が題材となっている。物語は重層的で、江戸の庶民生活の他に、田沼意次(演者は渡辺謙)が政治的に仕切る江戸城の内部も描かれている。

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7月に入ってからのドラマは、1780年代に日本橋に進出した蔦屋重三郎が様々な書物に手を出していく様子が描写されている。それを見ていると、江戸の人たちがいかに本好きであったかがわかる。まさに当時は“文芸の時代”だったのである。

そうした事情は朝鮮王朝も同じだった。1780年代といえば、国王のイ・サン(22代王・正祖〔チョンジョ〕)が朝鮮半島を統治していたが、彼は学者にも負けないほどの博学で、学問と研究を奨励していた。そういう政策のおかげで、イ・サンの時代は朝鮮王朝でも間違いなく“文芸の時代”になっていた。

当時の庶民の娯楽といえば、一番人気があったのが小説などの読み物だ。それゆえ、人々はこぞって書店に出かけて、面白い小説を買い求めていた。そういう風潮の中から、ベストセラーも生まれている。

また、書物が高すぎて買えないときは、原本を持っている人から借りて、それを筆記することも流行していた。それだけではない。人気小説をドラマチックに朗読する芸人も大いに脚光を浴びていた。

昌慶宮の景春殿
朝鮮王朝の「文芸の時代」を築いたイ・サンは1752年に昌慶宮の景春殿で生まれた

文芸の時代が続いた背景

こうした娯楽が盛んになったのは、イ・サンの統治が安定していたからだ。外国からの侵攻もなく人々が平和に暮らしていたから、庶民は安心して娯楽に打ち込めたのだ。それが“文芸の時代”が続いた背景であったと言える。

日本と朝鮮半島でそれぞれ文芸の隆盛をもたらした蔦屋重三郎とイ・サン。2人は同時期に生きていた。たとえば、蔦屋重三郎は1750年に生まれて1797年に世を去っているが、イ・サンは1752年に誕生して1800年に亡くなっている。2人とも「人生五十年」には届かなかったが、中身の濃い人生を走り抜けている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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