NHK総合テレビで日曜日に放送されている大河ドラマ『べらぼう』では、江戸時代後期(18世紀後半)に出版業で活躍した蔦屋重三郎(演者は横浜流星)が描かれている。彼はようやく「花の日本橋」への進出を果たしたが、ドラマはこれから「浅間山の大噴火」が題材となる。
【関連】『べらぼう』蔦屋重三郎と同じ時代を生きた朝鮮王朝の偉人
それが起こったのは1783年(天明3年)であり、江戸も大きな被害を受けている。このように、現代と同じように江戸時代にも、日本は地震、台風、火山の噴火という天災に苦しめられた。
それに対して、朝鮮半島はどうであっただろうか。朝鮮王朝の歴史を記した『朝鮮王朝実録』では、地震や火山の噴火といった天災はあまり記録されていない。また、台風も日本に比べれば、はるかに少なかった。そういう意味でも、朝鮮半島は天災が多くない場所であったと言える。
当時の朝鮮王朝の世相はどうであったのか。1783年というのは、22代王のイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)が即位して7年目だ。
彼は学問に精通した国王で、歴代の国王と比べても、頭脳明晰で博学だった。そんな彼は大胆な改革に乗り出していて、将来を担う人材育成に情熱を燃やした。その際に拠点にしたのが奎章閣(キュジャンカク)だ。
この奎章閣は、本来で言えば「王室の図書館」だった。各種の図書を保管して重要な書籍の編集をするところなのである。ここに優秀な若者(官僚や学者)が集められ、勉学や研究に邁進した。
イ・サンが特にめざしたのが、身分の垣根を越えて新しい才能を発掘することだった。当時の世の中は、厳格な身分制度によって人材を生かせていなかった。
つまり、身分が低いと重用されなかったのだ。それを国家的な損失と考えたイ・サンは、奎章閣を実験場にして、身分が低いという理由で埋もれていた若手を数多く採用した。結果的に、多くの若者が大いに能力を発揮した。気をよくしたイ・サンは奎章閣の機能を強化し、ここからさらなる改革を進めていった。
以上のように、江戸が「浅間山の大噴火」で大変な時期に、朝鮮王朝では天災の影響を受けずに政治的に安定していた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【関連】『べらぼう』が描く江戸の出版事情と類似する朝鮮王朝ベストセラー小説は何か
前へ
次へ