NHK総合テレビで日曜日午後8時から放送されている大河ドラマ『べらぼう』。江戸時代後期(18世紀後半)に版元(出版社)を興した蔦屋重三郎(横浜流星)の活躍が描かれている。
【関連】『べらぼう』蔦屋重三郎と同じ時代を生きた朝鮮王朝の偉人
当初、蔦屋重三郎は老舗の版元にまったくかなわなかった。新興の悲哀を味わうわけだが、それでもアイディア豊富な彼のやり方が版元同士の競争を促していく。
同じ時期の朝鮮王朝も同じだった。小説が庶民の間でもよく読まれていて、ベストセラーが生まれている。その代表的なものが『郭張両門録』であった。
史実を調べると、朝鮮王朝22代王・正祖(イ・サン)の妹であった清衍(チョンヨン)と清璿(チョンソン)が『郭張両門録』を1773年に筆写している。その筆写の目的は2つあった。1つは兄のイ・サン(彼はまだ即位前であった)に差し上げたかったこと、そして、もう1つは自分たちの学習のためであった。
しかし、筆写する量が多すぎて、2人の王女では手に負えなくなった。そこで、助っ人として駆り出されたのが、イ・サンが寵愛していた宮女の成徳任(ソン・ドギム)だった。
このエピソードは、成徳任が主人公だった韓国時代劇『赤い袖先』でも、詳しく描写されていた(成徳任を演じたのはイ・セヨン)。それによると、成徳任が筆写を王女たちから頼まれたのは達筆だったからだ。それほど、彼女は学識がある女性だったのだ。
ちなみに、王女2人と成徳任が筆写した『郭張両門録』という小説はどんな内容だったのだろうか。それは、中国の唐代を舞台に郭家と張家という2つの名家に起こった出来事を記述したものだ。特に、正妻と妾のドロ沼のような争いが描かれていて、その部分が読者から大いに受けたという。
大衆の興味というものは、現代も250年前もそう変わらないのである。その事情は、朝鮮王朝時代も江戸時代も同じだ。そういう読者の好みを熟知した蔦屋重三郎は、最初は不振でもやがてベストセラーを連発するようになる。そのあたりは、これからの『べらぼう』で描かれていく。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【関連】『イ・サン』『赤い袖先』で描かれた成徳任の女官人生
前へ
次へ