【韓ドラになった歴史人】『イ・サン』『赤い袖先』で描かれた成徳任の女官人生

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韓国時代劇の中で特に好感度が高いヒロインになっているのが、女官の成徳任(ソン・ドギム)である。彼女は、『イ・サン』でハン・ジミンが聖女のように扮していたし(役名はソン・ソンヨンになっていた)、『赤い袖先』ではイ・セヨンが美しく演じていた。

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有名な時代劇でこれほど重要な役になっていた成徳任とは、史実でどんな女性だったのだろうか。

成徳任は1753年に生まれている。イ・サンは1752年に誕生しているので、ソン・ドギムのほうが1歳下だ。父親は、イ・サンの母であった恵慶宮(ヘギョングン)の実家で働く使用人だった。その関係から、成徳任は恵慶宮の父親の紹介で宮廷に入って宮女になった。

それは1762年のことだ。イ・サンは10歳になっていて、同じ年に結婚しており、相手は後の孝懿(ヒョイ)王后である。

それでも、イ・サンは成徳任に好意を持ち続けた。ただし、成徳任のほうは心苦しかった。それは、人格的に優れていた孝懿王后に申し訳ない気持ちが強かったからだ。

『赤い袖先』のソン・ドギム
『赤い袖先』ではイ・セヨンが成徳任に扮していた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

我が子を失った悲しみ

それゆえ、女官としての成徳任は、できるだけイ・サンと距離を置こうと考えていた。彼から側室の誘いがあっても、成徳任は辞退していた。ひとえに、孝懿王后に気兼ねしていたのだ。

1776年に22代王・正祖(チョンジョ)として即位していたイ・サンは、後継ぎがいないことを心配していた。孝懿王后は子供を宿すことができなかったからである。

このように、正室に子供ができなければ側室に期待するしかない。そこで、イ・サンはさらに成徳任に対して求愛し、ようやく彼女は側室になることを承諾した。 

成徳任は1782年にイ・サンの長男を出産した。文孝(ムニョ)世子である。成徳任は側室の最高峰になり、宜嬪・成氏(ウィビン・ソンシ)と称された。しかし、1786年に文孝世子は幼くして早世してしまった。

この衝撃は、イ・サンを打ちのめした。同時に、成徳任も絶望を味わった。結局、成徳任は同じ年に亡くなってしまった。我が子を失った悲しみの中であまりに衰弱したことが死因と思われている。

【成徳任(ソン・ドギム)の人物データ】

生没年
1753年~1786年

主な登場作品()内は演じている俳優
『イ・サン』(ハン・ジミン)
『赤い袖先』(イ・セヨン)

文=大地 康

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