朝鮮王朝第22代王・正祖(チョンジョ)といえば、韓国時代劇『イ・サン』ではイ・ソジン、『風の絵師』ではペ・スビン、『赤い袖先』では「2PM」のジュノが演じていた国王だ。
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名君として多くの功績を残したことで知られている正祖はどのような人生を歩んだのだろうか。その背景を見てみよう。
正祖は国王になる前は祘(サン)という名前だった。祖父は21代王・英祖(ヨンジョ)で、父親はその英祖の息子である思悼世子(サドセジャ)だ。
幼いころから聡明だった彼は10歳のときにいくつかの政策を批判したことにより、重臣たちを敵に回した結果、国王である英祖とも険悪な関係になってしまった。
英祖によって思悼世子が米びつに閉じ込められた際に、父親を助けたかった祘は国王である祖父必死で懇願したが、その願いを受け入れず、思悼世子は米びつの中で餓死するという悲惨な最期を遂げた。
世子が亡くなったことで、英祖は祘を新たな後継者として指名した。当時、まだ幼かった祘は、自分の父親を陥れた者たちに復讐心を抱いていた。
英祖は祘に様々な教育を施すが、思悼世子を陥れた者たちは祘が王になれば、自分たちが報復されることがわかっていた。そのため、刺客を放って祘の命を何度も狙うが、結局その命を奪うことはできなかった。
1776年に英祖が世を去り、22代王・正祖として即位した祘は父親を陥れた者たちを次々と処罰していった。
しかし、当時の朝鮮王朝は儒教を重んじていたため、祖母である貞純(チョンスン)王后だけは罰することができなかったが、彼女のまわりの勢力を一掃した。
その後、正祖は祖父である英祖が行なっていた「各派閥から公平に人材を登用する政策」を引き継ぐが、「人材発掘を堂々と行なえば派閥争いに巻き込まれてしまう」と考えていた。
そこで彼は、重要な書籍の編纂や文献などの保管を行なう奎章閣(キュジャンガク)に有望な若者たちを集めて、様々な研究を行なえるようにした。最終的には100人以上の学者たちが奎章閣に集まり、文明開化に尽くした。
さらに、政治や経済、文化や庶民の生活水準の向上など多くの功績を残した正祖。しかし、彼は1つだけ失敗を犯している。それは、祖母である貞純王后を厳格に処罰しなかったことだ。
正祖が1800年に世を去ると、後を継いだ純祖(スンジョ)が23代王として即位するが、彼ははまだ10歳だったため、貞純王后が摂政をした。
その貞純王后は政治を私物化し、正祖が進めていた改革をすべて潰し、自分の息がかかった者を要職に就けるなどした。もし、正祖が躊躇なく祖母の貞純王后を厳格に処罰していたら、朝鮮王朝はもっといい時代を迎えていたかもしれない。
【正祖の人物データ】
生没年
1752年~1800年
主な登場作品()内は演じている俳優
『イ・サン』(イ・ソジン)
『風の絵師』(ペ・スビン)
『トキメキ☆成均館スキャンダル』(チョ・ソンハ)
『赤い袖先』(「2PM」ジュノ)
文=大地 康
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