【韓ドラになった歴史人】『哲仁王后』の純元王后は政治を混乱させた張本人だった

2025年01月19日 歴史 #歴史人物 #大地 康
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シン・ヘソンが主演した『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』は笑いが止まらない痛快時代劇だったが、このドラマでペ・ジョンオクが演じた大王大妃がまさに純元(スヌォン)王后であった。

さらに『雲が描いた月明り』ではハン・スヨンが純元王后を演じていた。このドラマの中では、「中殿キム氏」という名前だった。

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彼女は1789年に名門の家に生まれた。父親の金祖淳(キム・ジョスン)は重臣として王宮で強烈な存在感を持っていた。そして、純元王后が23代王・純祖(スンジョ)と結婚すると、ここから朝鮮王朝でも悪名が高い勢道(セド)政治が始まった。勢道政治とは、王妃の実家が主導権を取った政治のことである。

実際、純元王后の実家である安東(アンドン)・金氏(キムシ)の一族は、政権の要職を独占して、自分たちの都合がいいように政治を変えてしまった。以来、庶民の生活は苦しくなるばかりだった。ようやく純祖は、これまで純元王后の言いなりになっていたことを反省した。

1819年から純祖の巻き返しが始まり、息子の孝明(ヒョミョン)世子の外戚にあたる豊壌(プンヤン)・趙氏(チョシ)の一族を重用するようになった。そのことで安東・金氏の勢いがなくなり、純元王后の実家が没落してしまうという危機が迫っていた。

その矢先、孝明世子が21歳という若さで亡くなってしまう。これがきっかけとなり、後ろ楯を失った豊壌・趙氏が政治の中心から外され、安東・金氏が要職を取り返し、再び政治の主役となった。

『哲仁王后』の純元王后
『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』の純元王后をペ・ジョンオクが演じていた(写真=©STUDIO DRAGON CORPORATION)

悪政の張本人

1834年、純祖が44歳で亡くなると、孝明世子の息子がわずか7歳で24代王・憲宗(ホンジョン)となるが、まだ幼いということで、純元王后が摂政をした。彼女はそのときから大王大妃となり、大きな影響力を示した。

1849年に憲宗は22歳の若さで世を去った。憲宗には息子がおらず、後継ぎが決まっていなかった。そのとき、王室の最長老として「元範(ウォンボム)を後継ぎにする」と命令を出したのが純元王后だった。

元範は王族の一員だが、地方で農業をしていた無名な人物だった。純元王后がなぜそのような人物を選んだかというと、自分の思いどおりに操れるからだった。結局、無学で漢字もまともに読めないような青年が、25代王・哲宗(チョルジョン)となった。こうした人事は、政治を停滞させた。

1857年に純元王后が世を去った。彼女が存命中に政治は乱れ、朝鮮王朝は混乱した。その悪政の張本人が純元王后だった。

【純元王后の人物データ】

生没年
1789年~1857年

主な登場作品()内は演じている俳優
『雲が描いた月明り』(ハン・スヨン)
『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』(ペ・ジョンオク)

文=大地 康

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