【韓ドラになった歴史人】朝鮮王朝の国王の中で一番長生きした英祖が行った政策とは何か

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朝鮮王朝第21代王・英祖(ヨンジョ)といえば、『イ・サン』ではイ・スンジェ、『トンイ』ではイ・ソンホ、『赤い袖先』ではイ・ドクファが演じていた国王で、即位する前は延礽君(ヨニングン)という名前だった。その国王になる前の若き日の英祖のことを描いた『ヘチ 王座への道』ではチョン・イルが演じていた。

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19代王・粛宗(スクチョン)と側室の叔嬪・崔氏(スクビン・チェシ)との間に生まれたのが延礽君だ。彼が英祖として即位したのは1724年のことである。

本来であるなら、粛宗と張嬉嬪(チャン・ヒビン)の子として20代王になった景宗(キョンジョン)の息子が跡継ぎになるのだが、彼には1人も子供がいなかったため、延礽君が英祖となったのである。

そんな英祖は、各派閥から有能な人材を採用する蕩平策(タンピョンチェク)という政策によって党争が静めたり、国防の強化や苛酷な刑罰の禁止、減税や庶民の官吏登用試験などで、どんどん成果を上げていった。

朝鮮王朝では厳しい身分制度が続いていたが、その中で少しでも人権に配慮した政策が行なわれるようになったのは英祖の功績だ。

そんな数々の功績を残した英祖だが、まったく問題を起こさなかったわけではない。

『赤い袖先』
『赤い袖先』でイ・ドクファが演じた英祖(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

功績の多い国王の生涯

英祖の息子である荘献(チャンホン)は生まれつき聡明で、2歳のときに儒教の教典を暗唱するなど将来は名君になると期待されていたが、10歳のときにいくつかの政策を批判してしまった。

14歳くらいから政策の一部を任された荘献だが、彼を警戒していた老論派の者たちが足を引っ張り始めたのである。息子の素行の悪さを聞いた英祖は、荘献を問いただしたり、叱ったりした。

そんなことが何度も続いたため、荘献と英祖の親子関係は完全に崩れてしまった。それでも老論派の者たちは、荘献を陥れるための工作を止めなかった。

驚くことに、その首謀者は荘献の妻である恵嬪・洪(ヘビン・ホン)氏の叔父の洪麟漢(ホン・イナン)、英祖の継妃の貞純(チョンスン)王后・金(キム)氏、荘献の妹の和緩(ファワン)などの身内だった。

身内にまで陥れられた荘献だが、彼にも非がなかったわけではない。荘献は繰り返し妓生(キーセン)と放蕩を繰り返し、さらには側室を殺害するという犯罪まで犯していたのである。

荘献を警戒していた老論派はさらに彼を陥れる。老論派にそそのかされた官吏が「世子(セジャ)様が謀叛を企てております」と訴えた。それを聞いた英祖は怒り、息子に自決を命じる。

しかし、荘献は許しを請うばかりで、一向に自決しようとはしなかった。見るに見かねた英祖は彼を米びつに閉じ込めて餓死させてしまったのである。

その後、英祖の息子の死を悲しみ、世子の死を慎むという意味を込めた「思悼世子(サドセジャ)」という尊号を贈っている。

国王として数々の功績を残した英祖は、1776年3月5日に82歳で亡くなった。そんな彼の活躍は多くの韓国時代劇で描かれている。そんな彼の姿をぜひ韓国時代劇で堪能してほしい。

【英祖の人物データ】

生没年
1694年~1776年

主な登場作品()内は演じている俳優
『イ・サン』(イ・スンジェ)
『トンイ』(イ・ソンホ)
『秘密の扉』(ハン・ソッキュ)
『ヘチ 王座への道』(チョン・イル)
『赤い袖先』(イ・ドクファ)

文=大地 康

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