【『トンイ』で描かれなかったウラ話】粛宗と淑嬪・崔氏の出会いとは?

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ドラマ『トンイ』の主人公であった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)は、1670年に生まれたと言われている。彼女のライバルであった張禧嬪(チャン・ヒビン)は、1659年に誕生した。つまり、張禧嬪のほうが11歳も年上だった。この年齢差は大きい。特に、平均寿命が短い時代に11歳の年齢差があれば、淑嬪・崔氏から見て張禧嬪はかなり年長者に見えたことだろう。

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一方、淑嬪・崔氏が慕っていた仁顕(イニョン)王后は1667年の生まれなので、2人は年齢が近い。仁顕王后が3歳だけ上だが、淑嬪・崔氏から見れば身近なオンニ(お姉さん)に思えたことだろう。

ただし、2人は身分があまりに違いすぎたから、淑嬪・崔氏も相応の敬意を表す必要があった。たとえ、淑嬪・崔氏のほうが側室として粛宗(スクチョン)に寵愛されているとしても、彼女は常に最大限の礼儀を仁顕王后に尽くさなければならなかった。そのあたりは、淑嬪・崔氏もしっかりわきまえていたはずだ。

実際、淑嬪・崔氏はかなり低い身分の出自だったと言われている。果たして、彼女はどのような経緯で王宮に入ってきたのだろうか。

この点では諸説があるが、定説になっているのは、淑嬪・崔氏が王宮の水汲み係だったということだ。これが真実なら、淑嬪・崔氏は下働きから側室まで成り上がったことになる。それは異例なほどの大出世であった。

実在したトンイはどんな女性だったのだろうか

伝説的なエピソード

正式な記録ではないが、粛宗と淑嬪・崔氏との出会いのエピソードが野史(民間の間で伝承された歴史)に残っている。

それは、こういう出来事だった。

夜遅く、眠れなかった粛宗が王宮の中を散歩していると、明かりがともった部屋があった。粛宗がのぞいてみると、若い女性が食膳の前でひとり祈っていた。

興味を持った粛宗が尋ねると、女性がこう答えた。

「仁顕王后様のご誕生日をお祝いしておりました」

その当時、仁顕王后は廃妃になって王宮にいなかった。しかし、こんなにも慕っていた女性がまだいたのである。

粛宗は感心して若い女性に興味を持った。それが淑嬪・崔氏であり、その後に側室にしたという。

おそらく出会いの場面は創作に違いないが、こういう話が残っていることが重要だ。淑嬪・崔氏は、伝説的なエピソードが記録されるほど、好意的にその存在が歴史に残った女性なのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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