【歴史コラム】『イ・サン』の聖女ソンヨンは史実でどんな生涯を送ったのか

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テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『イ・サン』。8月28日の第74話においてついにソン・ソンヨン(ハン・ジミン)が息を引き取った。イ・サン(イ・ソジン)に抱かれながら彼女は短い生涯を終えたのだ。

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史実では、ソンヨンのモデルとなった女性はどんな人生を歩んだのであろうか。 

彼女は、歴史的に宜嬪・成氏(ウィビン・ソンシ)と呼ばれている。本名は成徳任(ソン・ドギム)で、1753年に生まれた。

父親は洪鳳漢(ホン・ボンハン)の屋敷で働いていた。この洪鳳漢はイ・サンの母親だった恵慶宮(ヘギョングン)の父だ。つまり、宜嬪・成氏の父親は恵慶宮の実家の使用人だった。

そんな縁で、宜嬪・成氏は9歳で王宮に入り、宮女の見習いとなった。その際、恵慶宮の元に預けられた。必然的に、イ・サンに会う機会があった。それは1762年のことでイ・サンが10歳で宜嬪・成氏が9歳だった。

『イ・サン』ではハン・ジミンがソンヨンを演じた

茫然とするイ・サン

イ・サンは1776年に即位したが、1780年には国王として宜嬪・成氏に承恩(国王が意中の女性と一夜を共にすること)を命じた。しかし、彼女は承諾しなかった。まだ子供を産んでいない孝懿(ヒョウィ)王后に申し訳ないという気持ちがあったからだ。

結局、側室にならないまま宜嬪・成氏は正祖の子供を身ごもった。しかし、流産となり、次も流産だった。三度目に吉報がもたらされた。宜嬪・成氏は1782年9月に王子を産んだのだ。その功績で彼女は1783年に正一品となった。

1784年に王女も産んだ。しかし、わずか2カ月足らずで亡くなってしまった。王子は1784年7月に正式に世子となった。イ・サンの正式な後継者となった文孝(ムニョ)世子である。しかし、1786年5月に夭逝してしまった。

さらに、宜嬪・成氏は1786年9月14日に亡くなった。そのとき、彼女は妊娠9カ月だったと伝えられている。享年は33歳であった。
歴史書には愛する人を失って茫然とするイ・サンの様子が記されている。それは、ドラマ『イ・サン』でもまったく同様であった。 

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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