仮定の王朝秘話/もしも韓国の首都がソウルでなくて水原だったならばどうなっていたか

2025年07月07日 歴史 #大地 康 #写真
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今、ソウルは世界有数の大都市になっている。これほど大きな都市になったのは、518年間も朝鮮王朝の首都であったことが決定的に関係していた。当時は漢陽(ハニャン)と呼ばれていたが、王朝の政治・経済・文化の中心であり続けた。

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しかし、今の韓国の首都がソウルでなかった、という可能性もあったのだ。その背景をさぐってみよう。

名君としてあまりに有名なイ・サンをめぐる話だ。彼は1776年に22代王・正祖(チョンジョ)として即位したが、政権の安定に自信を深めた1789年から父の思悼世子(サドセジャ)を祭り上げる大事業に着手した。

まず、漢陽の北方の楊州(ヤンジュ)にあった思悼世子の陵墓を水原(スウォン/漢陽から南25キロに位置していた)に移した。風水で見ると、水原が陵墓の最適地だったからである。

その末に整備されたのが顕隆園(ヒョンニュンウォン)だ。この名前には、「顕父に隆盛で報いる」というイ・サンの真心が込められていた(現在、顕隆園は隆健陵〔ユンゴンヌン〕と呼ばれている)。

『赤い袖先』のイ・サン
『赤い袖先』ではジュノ(2PM)がイ・サンを演じた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

実現されなかった計画

イ・サンは顕隆園に度々出掛けるようになった。そうした行幸に動員される随行員は6000人、馬は1400頭が用意されたという。とてつもない規模である。

そして、イ・サンは顕隆園に何度も行くうちに、水原をもっと大きな都市にしようと考えた。そうして建設されたのが、今や都市城郭として世界遺産にも指定されている華城(ファソン)だった。

工事は1794年2月から始まり。わずか2年6カ月で完成した。まさに突貫工事であった。とはいえ、莫大な経費がかかりすぎてしまった。そのために、国家財政を苦しくさせたのは事実だった。

そこまで資金を投入した水原の都市整備。イ・サンは、いずれ水原に遷都しようと真剣に考えていた。しかし、彼は1800年に48歳で亡くなってしまった。それによって、朝鮮王朝の首都を水原に遷都しようとする計画は、結局は実現されなかった。

もしもイ・サンがあと10年長生きしていれば、今の韓国の首都は水原になっていたかもしれない。

文=大地 康

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