【『トンイ』の裏ストーリー】仁顕王后と張禧嬪の立場はどのように逆転したのか

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ドラマ『トンイ』では、19代王・粛宗(スクチョン)の正妻が仁顕(イニョン)王后であり、パク・ハソンが扮していた。そして、粛宗の側室となる張玉貞(チャン・オクチョン/後の張禧嬪〔チャン・ヒビン〕)をイ・ソヨンが演じていた。

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史実を見ると、2人が出会った当初は関係も悪くなかった。張玉貞は、やや芝居がかった振る舞いで仁顕王后のもとへ駆け寄り、「助けてください」と声高に訴えかけたこともあった。その姿は、粛宗からどれほど深く愛されているかを周囲に誇示するための演出であった。

仁顕王后は優しく語りかけ、関係を修復しようと努めた。しかし張玉貞は顔をそむけ、王妃の言葉に耳を貸さなかった。やがて、仁顕王后が張玉貞に言いつけを伝えても、彼女は無愛想な態度で受け流し、ついには呼びかけすら無視するという傲慢なふるまいを見せるようになった。

その冷ややかな態度に、とうとう仁顕王后も我慢ができなくなった。人を見る目の甘さを悔やみつつ、「あの女はいけません。他の女性をお抱えください」と粛宗に進言したのである。

こうして、王妃の意向のもとに新たな側室が選ばれたが、粛宗の心は張玉貞から離れようとはしなかった。彼はなおも彼女のもとに通い続けた。

『トンイ』
『トンイ』でチ・ジニが演じた粛宗とイ・ソヨンが扮した張禧嬪

粛宗の偽らざる願い

実は、粛宗はあせっていた。1674年、わずか13歳で王位に就いた粛宗は、できるだけ早く王位を継ぐ「世子(セジャ)」を定めたいと願っていた。しかし、20代半ばを迎えても、その切望は実現していなかった。

最初の正妻である仁敬(インギョン)王后は、3人の娘を産んだのちにこの世を去っていた。そして、二番目の正妻の仁顕王后にも妊娠の兆しはまったく見られなかった。

「世子となれるような息子がほしい」

それは粛宗の偽らざる願いであった。

ようやく1688年、張玉貞が粛宗の長男を出産した。張玉貞は母としての強さと存在感を一気に高め、仁顕王后との立場を完全に逆転させた。張玉貞は張禧嬪として正一品となり、我が世の春を謳歌した。

文=大地 康

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