【『トンイ』の裏ストーリー】粛宗の母から仁顕王后が叱られたのはなぜなのか

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ドラマ『トンイ』では、朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)、母の明聖(ミョンソン)王后、二番目の正室の仁顕(イニョン)王后が重要な登場人物になっていた。その3人が関係する史実をひもといてみよう。

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1680年、粛宗の最初の正室だった仁敬(インギョン)王后が亡くなった。その後、粛宗は女官の張玉貞(チャン・オクチョン)を寵愛するようになった。明聖王后は、張玉貞の野心を見逃さなかった。

「あの女は何か良からぬことを考えている。王宮にこのままいさせてはいけない」

明聖王后は、息子が張玉貞を寵愛していることに我慢できなかった。彼女はすぐに張玉貞を宮中から追い出した。国王として君臨する粛宗も、性格が強い母の意志には従うしかなかった。

しかし、1681年に新たな王妃となった仁顕(イニョン)王后は、性格が優しかった。国王が気に入っている女官が王宮から追われていることに同情した。

「殿下に気に入られている女官が長く宮中にいないのはいかがなものでしょうか。再び呼んであげてもいいのでは…」

『トンイ』の仁顕王后
『トンイ』ではパク・ハソンが仁顕王后を演じた

優しい性格の王妃

仁顕王后がそう進言すると、明聖王后は拒絶反応を示した。

「あの女官をまだ見ていないのでそう簡単に言うのでしょう。殿下がもしあの女官にそそのかされたら、国家にとってもわざわいです。内殿(ネジョン/王妃のこと)も私の言うことをよく考えてみてください」

それでも、仁顕王后はまだ張玉貞をかばった。

「まだ起こってもいないことを今から心配しなくてもよろしいのでは…」

明聖王后はあきれてしまった。

「人が良すぎます。そんな甘いことではいけません」

そう言って明聖王后は仁顕王后をたしなめた。

いくら仁顕王后が進言しても、明聖王后は張玉貞を王宮に戻すことに大反対だった。もしも明聖王后がそのまま生きていれば、張玉貞が王宮に戻ることができなかった。しかし、明聖王后は1683年に亡くなり、張玉貞が再び王宮に帰ることができた。この張玉貞が、後の張禧嬪(チャン・ヒビン)である。

文=大地 康

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