【エリート王妃の宿命】粛宗の母はどれほど凄い猛女であったのか

2023年09月03日 歴史 #康熙奉コラム #写真
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朝鮮王朝には518年間で42人の王妃がいたが、その中で最高のエリートコースを歩んだ女性は誰だっただろうか。それは、『トンイ』でチ・ジニが演じた粛宗(スクチョン)の母親だ。それが明聖(ミョンソン)王后である。

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18代王・顕宗(ヒョンジョン)の正室だった明聖王后が結婚したのは9 歳のときだった。すぐに世子嬪(セジャビン/世子の妻)になった。夫が1659年に即位したので、明聖王后は17歳で王妃に昇格した。

さらに、19歳で世継ぎとなる長男を出産した。その息子が19代王・粛宗になったのが1674年で、明聖王后は32歳だった。こうして大妃(テビ/国王の母)になった明聖王后。「世子嬪→王妃→大妃」と順調に立場を上昇させたのは朝鮮王朝でも本当に珍しい例であった。

しかし、性格は優雅な中にもわがままさを秘めており、女性が禁じられている庁舎へと踏み込み、閣議に声を投げかける大胆さを持っていた。実際、その行動は高官たちからの厳格な非難を招いたこともある。

しかし、ひるまない。明聖王后は非難をものともせず、粛宗が張禧嬪(チャン・ヒビン)に心を寄せるや否や、母としての直感で彼女の接近を警戒し、敏速に張禧嬪を宮中から遠ざけてしまった。このあたりは本当の「猛女」であった。

『トンイ』で粛宗を演じたのはチ・ジニであった

命がけで息子を救った王后

それほど強硬だった彼女だが、息子への深い愛情も宮中で広く知られていた。粛宗が突如として重病に侵されると、明聖王后の心は大いに乱れた。祈りのための巫女を招き、その巫女より「大妃様のおからだに不吉なものがあり、それが王様の病の元になっております」との言葉を受けた。巫女の助言に従い、明聖王后は冬の冷たい水で身体を清め続けた。

しかし、冷水をあまりに多く浴び続けたために、彼女は徐々に衰弱してしまった。その末に1683年、41歳という若さでこの世を去った。

だが、彼女のその献身は虚しいものではなかった。粛宗の体調が奇跡的に回復したのだ。言わば、明聖王后はその命を捨てて息子を救ったのである。死んだ後も彼女は「猛女」そのものだった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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