朝鮮王朝で世子(セジャ)というのは、国王の正式な後継者を指す。わかりやすく言えば、皇太子と同じ意味である。それなのに、世界的によく使われている皇太子ではなく、朝鮮王朝ではなぜ世子と呼んだのだろうか。
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そこには、当時の東アジアの冊封体制が関わっていた。
その地域で圧倒的な強さを誇っていたのが、中国大陸の覇者だ。朝鮮王朝の前期で言えば中国では明が支配していたし、後期なら清が中国で君臨していた。
その明にしても清にしても、統治者は皇帝を称している。そして、中国の影響力を受けている周辺諸国は中国大陸のトップこそが唯一の皇帝であると崇め、自分たちのトップについては国王と名乗った。この場合、国王は皇帝より格が一つ下がるのである。
つまり、朝鮮王朝は明や清と同格とは考えてはおらず、国として一歩下がって朝鮮半島を統治していた。そのため、皇帝ではなく国王を名乗り、正式な後継者は皇太子ではなく世子と呼ばれたのだ。
このように、朝鮮王朝は常に中国に気兼ねしていた。そのあたりは、海によって隔てられていた日本とは事情が異なっていた。
なお、「世子」という言い方は国王の息子を指しているが、「国王の正式な後継者となる孫」は「世孫(セソン)」と呼ばれ、「国王の正式な後継者となる弟」は「世弟(セジェ)」と称されていた。
世孫と言えば、『赤い袖先』でよく登場したように即位前のイ・サンが該当していた。イ・サンの場合、世子だった父親の思悼世子(サドセジャ)が餓死によって世を去ったので、英祖(ヨンジョ)の孫であった彼が正式な後継者に指名されて世孫になった。
また、英祖も即位前は異母兄の景宗(キョンジョン)の正式な後継者だったので、当時は世弟と呼ばれた。
以上のように、国王の正式な後継者は「世子」「世孫」「世弟」の3種類があった。どの場合でも、国王が亡くなれば、ただちに次の国王として即位する立場であった。それゆえ、ナンバー2として絶大な権限を持っていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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