『赤い袖先』の主人公になっていたイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は、朝鮮王朝の第22代王として韓国で特別に尊敬されている国王だ。
もともと、「史上最高の聖君」と称されている4代王・世宗(セジョン)の業績はハングルを作ったことなのだが、イ・サンの場合は、生活の向上に役立った実学を発展させたという業績以上に評価されているのが卓越した人間性だ。
朝鮮王朝の正史『朝鮮王朝実録』に記されているイ・サンの言動について調べてみると、彼が語る言葉は常に思慮深くて深い学識に裏付けられていた。
「こんな立派な国王がいたら、当時の人々は心から誇りに思っていたことだろう」。そう感激するほど、「人格者」イ・サンが行なった善政の数々は韓国の歴史に燦然(さんぜん)と輝いている。
これほどの名君を連続ドラマで演じるので、ジュノが受けた重圧は相当なものだっただろう。しかも、イ・ソジンやヒョンビンといった先輩俳優がイ・サンに扮して強烈な印象を残している。比較されるのは当然だし、後輩が気後れするのも無理はないことなのだ。
しかし、ジュノはイ・ソジンやヒョンビンの作品に目を通したとしても、「自分なりの新しいイ・サン像」を作る意欲を大いにみなぎらせていた。それは、「真似はしない」という強い意志のあらわれだった。
その上で彼はイ・サンについて徹底的に調べ上げた。
特に、イ・サン本人だけでなく、祖父の英祖(ヨンジョ)や父の思悼世子(サドセジャ)も同じように研究し、「この三者がどのように結びついていたか」ということに思いを馳せた。俳優としてのこのアプローチは、とても理知的であり、ドラマの中で細かい心理描写を演じるときに役立ったに違いない。
実際、『朝鮮王朝実録』の記述によると、世孫(セソン/国王の正式な後継者となる孫)のときのイ・サンは、高官たちから強烈な批判を受けていた。「国王になる器ではない」とまで言われていたのだ。
それは、思悼世子を陥れた老論派(ノロンパ)が復讐を恐れたからだ。イ・サンが即位したら亡き父の無念を晴らすために老論派を排斥するのは目に見えており、それを防ぐために高官たちはイ・サンの評価を著しく低くして即位を阻止しようとした。
こうした老論派の姑息なやり方は、『赤い袖先』でもよく取り上げられた。このドラマは当時の王宮内の権力闘争の推移を感心するほど的確に扱ったのだ。
そうした歴史を撮影前に熟知していたジュノはしっかり準備をして、反対勢力の妨害によって即位が危ぶまれた世孫の苦しい立場を繊細な演技で表現していた。そのときジュノは間違いなくドラマの中で的確な「世孫の代弁者」であった。
彼は、イ・ドクファが演じた英祖に叱責される場面でも鬼気迫る強さでイ・サンの立場を明らかにして、やがて国王になるのにふさわしい人間であることを如実に示した。
即位するためには、それだけの確固たる自己主張が必要だし、一歩もひるまぬ覚悟が欠かせないのである。『赤い袖先』はイ・サンとソン・ドギムの究極の愛が本筋となっていたが、同時に、周囲が敵だらけの中で世孫が国王になるための正念場を描き切ったドラマでもあった。その際に見せたジュノの演技は、『赤い袖先』の奥の深さをしっかり証明していた。
史実のイ・サンは、国王になった後に名君にふさわしい善政を次々に実行していった。人材の抜擢(ばってき)、庶民生活の向上、文化の発展、法制度の改善など、イ・サンが成し遂げた統治は朝鮮王朝の金字塔と呼べるほどであった。
それを成し遂げた名君を最後まで演じきったジュノは、俳優としても堂々たる風格を見せていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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