時代劇『七日の王妃』では、燕山君(ヨンサングン)を人気俳優のイ・ドンゴンが演じた。ドラマの中で燕山君は、極端な悪人だったという描かれ方をしていなかった。多少は同情の余地があったのだ。
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しかし、史実の燕山君を見ると、やはり、どこからどこまで見ても典型的な悪人だ。
そもそも、燕山君は国王にふさわしくない男であった。幼い頃から気性が荒く、勉学を嫌っていた。
父である9代王・成宗(ソンジョン)は、常に燕山君を叱っていた。出来が悪い息子だとわかっていたのだ。それでも、燕山君を世子にした。長男であることをことさら重視したからである。
成宗が1494年に亡くなり、世子だった燕山君が10代王として即位した。
彼は最初だけまともな政治をしていたが、次第に本性をあらわし、酒池肉林に明け暮れた。しかも、自分が気に入らない官僚や儒学者たちを虐殺する大事件を起こしている。
こうした暴政に対して歯向かう者は少なくなり、彼の周りには甘い汁を吸おうとする奸臣(かんしん)ばかりが集まった。
当時、燕山君が幼いころに死んだ母に関する話は、王宮の中で禁句となっていた。それは、亡き成宗が「今後は語るな」と遺命を残したからだ。
燕山君の母は、側室を呪詛(じゅそ)したり成宗の顔を激しく引っ掻いたりした廃妃・尹氏(ユンシ)であった。彼女は死罪になっていた。
しかし、奸臣の1人が廃妃・尹氏の死の真相を暴露してしまった。初めて事実を知った燕山君は激しく怒り、母の死に関わった人たちを徹底的に処刑した。
こうして燕山君は母の復讐のために多くの人を虐殺した。このように、暴政がますますひどくなった。
燕山君から王位を剥奪しようとする動きが強くなった。中心人物は高官の朴元宗(パク・ウォンジョン)だ。
朴元宗の姉は成宗の兄である月山(ウォルサン)大君に嫁いだ女性だ。しかし、燕山君は無理やり乱暴を働き、悲観した彼女は自殺してしまった。本当にひどい悪行であった。
復讐を誓った朴元宗は燕山君を廃位に追い込むためのクーデターを主導した。1506年、彼らが燕山君を襲うと、王宮を護衛する兵士たちはことごとく逃げてしまった。それほど燕山君は誰からも見放されていたのだ。
このように、燕山君はクーデターで廃位になるのも当然の人間であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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