『七日の王妃』では、イ・ドンゴンが燕山君(ヨンサングン)を演じていた。本来、この王は残虐なことを繰り返した暴君としてあまりに有名だが、ドラマでは彼なりの苦悩が描かれていた。そういう意味では、『七日の王妃』は燕山君に新しい視点を加える内容になっていた。
【写真】『七日の王妃』でイ・ドンゴンは燕山君の憎悪をどう演じたのか
最終回で燕山君は、王位を引き継いだ異母弟の中宗(チュンジョン)に見守られながら息を引き取った。そのようなエンディングになっていたこともあり、ドラマは燕山君に対して好意的に解釈する部分もあった。
それでは、史実では燕山君の終焉はどのように記されていたのか。
朝鮮王朝の歴史を記録した「朝鮮王朝実録」で燕山君の死についての記述があるのは1506年11月8日である。
国王の中宗に対して臣下が「11月6日に燕山君が病気で息を引き取りました」ことを報告し、「特に遺言はありませんでした」と付け加えている。
さらに、死ぬときの様子として「燕山君は慎氏(シンシ)に会いたがっていました」と臣下は中宗に伝えた。
この慎氏は燕山君の正室であり、クーデターで燕山君が廃位になったのにともなって廃妃になっていた。
また、慎氏は、『七日の王妃』でパク・ミニョンが演じた端敬(タンギョン)王后の叔母であるが、2人は相次いで廃妃になったおり、「不運な叔母と姪」であったと言わざるをえない。
実際、廃位となった燕山君は江華島(カンファド)に島流しとなり、慎氏とは離れ離れになっていた。そんな慎氏に会いたがっていたという燕山君。すでに、寵愛した側室の張緑水(チャン・ノクス)は斬首になっていたが、正妻だった慎氏にも特別な哀惜を持っていたに違いない。
燕山君は廃位になったあと、江華島で謹慎生活を強いられたが、わずか2カ月で命を落としてしまった。あまりに早すぎる死だったので毒殺説も流布したが、真相はわからない。
果たして、燕山君は病死したのか、それても毒殺されたのか。
燕山君は最期まで世間を騒がせる存在だった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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