韓国時代劇『雲が描いた月明り』で、パク・ボゴムが演じたイ・ヨンこと孝明世子(ヒョミョンセジャ)は、23代王・純祖(スンジョ)の長男として1809年に生まれた。
父の純祖に代わって18歳で代理聴政(テリチョンジョン/摂政のこと)をして大きな実績を作り、国王になったら名君になるのは間違いないと思われていた。
それなのに、わずか21歳で急死してしまい、孝明世子が国王になる姿を見ることはできなかった。そのことが本当に残念であった。
ただし、彼の息子が1834年に24代王・憲宗(ホンジョン)として即位したので、孝明世子も草葉の陰で大いに喜んだのではないか。自分が果たせなかったことを息子が実現させたのだから。
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とはいえ、やはり孝明世子が王になってどんな政治をするかを見てみたかった。
結局、彼は歴史の中に埋もれてしまったわけだが、それから180年ほどを経て時代劇の主人公として登場して、韓国中に改めてその名が知られるようになった。
さらに、パク・ボゴムが孝明世子を演じたことにより、イメージはかぎりなくアップしたに違いない。
ドラマで描かれた孝明世子の姿は凛々しくて、堂々としていた。
この印象はとても大きい。
歴史に埋もれていた医女のチャングム(長今)が、『宮廷女官 チャングムの誓い』で現代に甦ったのと同様に、孝明世子もドラマのおかげで存在を復活させた。
そういう意味でも、『雲が描いた月明り』が歴史的に果たした役割は大きい。
ならば、なおさら思ってしまう……もし孝明世子が長生きしていれば、朝鮮王朝の歴史はどうなっていたか。
彼が早世したことによって朝鮮王朝の政治は混沌としてしまい、ついに衰退の道をたどった。朝鮮王朝にとって、優秀な世子だった孝明世子の早すぎる死はあまりにも痛かった。
もし、彼が長く生きていれば、朝鮮王朝の歴史は衰退ではなく、繁栄の方向に歩みを進めていたことだろう。本当に彼の死が悔やまれる。
構成=大地 康
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