【王朝のしきたり】国王が気に入った女官と一晩を過ごすことを何と言うか

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大人気となった時代劇『袖先赤いクットン』(原題)では、朝鮮王朝の王宮で奉職する女官の生活がよく描かれていた。彼女たちは16世紀前半なら1000人以上もいたのだが、『袖先赤いクットン』で描かれたイ・サンの統治時代なら数はかなり減っていた。それでも、700人前後はいたのではないかと推定されている。

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そうした女官には見習い以外に品階が与えられた。9段階に分かれていたが、それぞれに「正」と「従」があった。よって、合計で品階は18段階に分かれていて、一番上が「正一品」であり、一番下が「従九品」であった。

この中で、「正一品」から「従四品」までの8段階は側室に与えられる品階だ。彼女たちは王に寵愛されている度合いによって、品階が上がっていった。たとえば、国王の息子を産むという功績があれば、最高位の「正一品」まで上がることができた。

一方、実際に働いている女官の品階は「正五品」以下だった。そんな女官の中で、国王に気に入られて一夜をともにするシンデレラのような人もいた。このように、国王が好意を持った女性と一夜をともにすることを「承恩(スンオン)」と言った。

『袖先赤いクットン』では女官の生き方も描かれていた(画像提供=MBC)

シンデレラ・ストーリー

この「承恩」の結果、一介の女官がいきなり側室になっていく、ということもよく起こっていた。

形式的ではあっても、王宮に奉職していた女官は誰であってもすべてが「国王と結婚した」と見なされていた。その中で側室は立場の上でも品階の上でも「国王の妻」と認められ、王子を産んで後には「国王の母」になることも可能だった。

ドラマ『トンイ』に登場した淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)と張禧嬪(チャン・ヒビン)は2人とも息子が後に即位したので「国王の母」になっている。

そのチャンスは一介の女官にもあった。仮に職務中の女官をたまたま国王が見て気に入り、「承恩」で呼ぶケースはたくさんあった。朝鮮王朝の前期には国王が平均的に10人くらいの側室を抱えていたので、「承恩」を経て下位の役職の女官が側室にまで昇格することも可能だったのだ。

それだけに、美貌に自信がある女官は国王から「承恩」の声がかかることを常に期待していた。そのために、給金のほとんどを化粧品に費やした、とも言われている。

「承恩」というのは、一介の女官にシンデレラ・ストーリーを運んでくる制度でもあったのだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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