【トンイの真実】謎が多いトンイと粛宗の出会い。3つの諸説で検証する

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韓流プレミアで放送中の韓国時代劇『トンイ』の主人公であるトンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)について、いくつかの説が語られているが、いったい彼女についてどんな説があるのだろうか。

ドラマの中ではだいぶ話が進んでしまっているが、トンイが王宮に入ってきた経緯について見てみよう。その経緯については諸説がある。

ドラマ『トンイ』ではハン・ヒョジュが淑嬪・崔氏を演じた。(写真=2010 MBC)

最初の説は、1675年、7歳のときにムスリ(王宮内の下働きをする身分の低い人)として入宮したというもの。彼女の息子で後に21代王となった英祖(ヨンジョ)が建てた石碑に書かれていることだ。

2つ目の説は、1681年、仁顕(イニョン)王后が粛宗の継妃になったときに侍女として入宮したというものだ。彼女は疫病で両親をなくした孤児だったが、仁顕王后の遠縁の女性に保護され、成人して仁顕王后に仕えたという。

3つ目の説は信じがたい内容だ。賤民(チョンミン/最下層の身分)出身の既婚者で、生活のためにムスリになったというもの。

王宮で働く女官は未婚が原則で、入宮すれば女官をやめるまで王宮の外には出られない。しかし、ムスリは既婚者でもなることができた。その説に従うと、英祖には父が違う兄が2人いて、粛宗の息子でもないという。そうした噂に英祖はとても悩まされたそうだ。

以上のような諸説があるほど、淑嬪・崔氏は謎めいた女性だ。

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ただし、諸説すべてに共通しているのは、彼女がムスリであったということ。それは間違いないであろう。だとすると、淑嬪・崔氏はどうやって王に近づいたのだろうか。

女官の場合は、王の身のまわりの世話をする仕事が多く、王と出会う機会がよくある。しかし、ムスリは下働きだけなので、王に近づく機会はまったくない。とはいえ、現実的に淑嬪・崔氏は粛宗の寵愛を受けている。そこにどんな経緯があったのか。

ありえない事実

もっともらしく伝わっているのが次の話だ。

ある夜、粛宗はなぜか寝つかれなくなり、宮中を1人で散歩していた。すると、灯がついた部屋が気になった。行ってみると、部屋の中には祝いの料理が用意され、その前で1人の女性が何かを祈願していた。

「なぜ、そのようなことをしておるのか」

不思議に思った粛宗が尋ねると、女性が答えた。

「私は仁顕王后様に仕えていた者でございます。今日は仁顕王后様のお誕生日なのですが、直接お会いしてお祝いを述べることができないので、せめてこのように料理を用意してお誕生日を祝ってさしあげているのです」

粛宗は心から感動した。

以来、粛宗はその女性を側室にした。それが淑嬪・崔氏だった。

話としては出来すぎている。粛宗が夜に1人で宮中を散歩するというのもありえないことだし、ムスリの身分でありながら部屋を独占して祝いの料理を並べるというのも不自然だ。事実とはほど遠いように思える。

なぜこの話が広まったのか。淑嬪・崔氏が粛宗を誘惑したことを暗示するためではないだろうか。

可能性として一番考えられるのは、西人派(仁顕王后を支持していた)が追い詰められ、艶福家の粛宗に好みの女性を送り込んだということ。その女性が淑嬪・崔氏だったのではないか。それならば、一介のムスリに過ぎない彼女が王に会えたということも不可能ではない。

いずれにしても、淑嬪・崔氏は粛宗が寵愛する側室となった。張禧嬪にとっては、大変な脅威であったことだろう。

最初から最後まで読んでみると、確かに淑嬪・崔氏が謎めいた女性に見えてくる。ドラマを見た後に彼女のことを調べると、史実と違う描かれ方をしてる部分が見えてくるかもしれない。

構成=大地 康

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