イ・ヨウォンが主演した傑作時代劇『善徳女王』で、一番立派な人物として描かれていたのがオム・テウンの演じた金庾信(キム・ユシン)であった。彼はドラマの中で正しい信念を持った大将軍だったが、そのイメージはまさに史実と同じだった。
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歴史的な偉人だった金庾信は、栄光に彩られた名門の出身者である。伽耶(カヤ)を建国した金首露(キム・スロ)の子孫だと伝えられているし、祖父と父も優れた武将であった。そうした血を受け継いだ金庾信は、少年時代から頭脳明晰で誰からも期待されていた。
彼が心から夢見たのは、高句麗(コグリョ)、百済(ペクチェ)、新羅(シルラ)と三国に分裂していた朝鮮半島を統一することだった。
その目的を達成するために尽力した彼は、新羅で善徳(ソンドク)女王が即位してから徐々に頭角を現していった。そんな彼が一緒に力を合わせたのが王族の金春秋(キム・チュンチュ)だった。2人は相性がとても良かった。
その後、善徳女王の英断によって金庾信は644年に大将軍に昇格した。彼は富国強兵の先頭に立って新羅の軍を強化していった。そして、654年に金春秋が29代王・武烈(ムヨル)王として即位した。彼は金庾信の妹を妻にしており、2人の固い結びつきによって新羅はさらに強くなっていった。
ついに、660年に新羅は百済を倒した。武烈王は661年に57歳で亡くなってしまったが、後を託された金庾信は668年に高句麗を滅亡させ、新羅が朝鮮半島の王者になった。
ただし、新羅と連合した唐が領土拡張の野心を強く持っていたので、今度は新羅が唐の勢力を朝鮮半島から追い出さなければならなかった。
それは長い戦いになったのだが、その最中の673年に金庾信は78歳で命を終えた。本当に、新羅の繁栄のために尽力した「堂々たる人生」であった。
彼の願望は後輩たちに託されたが、ついに新羅は唐の勢力を駆逐して676年に朝鮮半島で最初の統一国家となった。その大業の立役者がまさに金庾信であったことは間違いない。
【金庾信の人物データ】
生没年
595~673年
主な登場作品()内は演じている俳優
『淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)』(イ・ジョンス、壮年期ユン・スンウォン)
『大王の夢』(キム・ユソク、少年時代ノ・ヨンハク)
『善徳女王』(オム・テウン、少年時代イ・ヒョヌ)
『階伯(ケベク)』(パク・ソンウン)
『三国記-三国時代の英雄たち-』(ソ・インソク)
文=大地 康
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