『赤い袖先』でも厳格な王・英祖の人生はどんなものだったのか

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ジュノ(2PM)が主人公イ・サン役で出演している時代劇『赤い袖先』で、イ・サンの祖父である朝鮮王朝21代王・英祖(ヨンジョ)に扮しているのがイ・ドクファである。

イ・ドクファ、『輝くか、狂うか』『社内お見合い』などですばらしい演技を披露してきたベテラン俳優だ。そんな彼が、『赤い袖先』では貫禄十分の国王を堂々と演じて、時代劇が好きな人からも絶賛された。

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英祖は、今回の『赤い袖先』だけでなく、『テバク~運命の瞬間(とき)~』や『ヘチ 王座への道』など多くの時代劇に登場しており、朝鮮王朝27人の王の中で一番長生きしたことでよく知られている。

​​​ドラマ『赤い袖先』より(写真提供=NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)
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王になる前の王子時代は延礽君(ヨニングン)と呼ばれており、父親は19代王・粛宗(スクチョン)、母親は『トンイ』の主人公だった叔嬪・崔氏(スクピン・チェシ)である。

異母兄であり、在位4年2カ月・36才最で世を去ってしまった20代王・景宗(キョンジョン)の後を継いで、1724年に21代王となった。
即位してからは減税、過酷な刑罰の廃止、不当な判決に対して王に無実を訴えることができる制度など、民衆の生活の改善に尽力した。

そんな英祖の一番の功績といえば、「蕩平策(タンピョンチェク)」という政策を行なったことだろう。

この政策は、各派閥から公平に人材を採用するもので、それによって当時激しく起こっていた老論派と少論派の党争を鎮めた。

しかし、英祖はまったく問題を起こさなかったわけではない。実際、英祖は世継ぎであるはずだった荘献(チャンホン)世子(セジャ)との関係が悪かった。

2歳のときに経典を暗唱するなどの聡明さを発揮した荘献。将来は名君になると期待されていたが、10歳のときにいくつかの政を批判したため、老論派から警戒されてしまう。

また、14歳くらいから政の一部を任されるほどにまでなった荘献だが、老論派がそんな彼の足を引っ張り始めた。

荘献の素行が悪いという話を聞いた英祖は、息子を呼んでは何度も叱責したが、荘献の素行は改善されなかった。

また側室を殺害したりして、評判は悪かった。次第に崩れていく英祖と荘献の親子関係。

それと並行して老論派は荘献を陥れることをやめようとはせず、1762年、1人の官僚が荘献の謀反を英祖に訴えた。

それを聞いた英祖は激怒して息子に自決を命じた。しかし、荘献は許しを請うばかりで一向に自決する様子を見せなかったため、英祖は荘献を米びつに閉じ込めて餓死させてしまう。

怒りにまかせて息子を死なせてしまったことをひどく後悔した英祖は、荘献に「思悼世子(サドセジャ)」という尊号を贈っている。

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そんな思悼世子には息子が1人いた。それが、『赤い袖先』でジュノ(2PM)が演じるイ・サンである。

英祖はイ・サンを後継者として指名し、立派な王にするために英才教育などを施した。
息子を餓死させるという取り返しのつかない過ちを犯したとはいえ、英祖の人生はまさに名君にふさわしいものだった。


文=大地 康

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