ソン・ガンホは「韓国で最も有名な映画俳優」と称されるが、彼が21代王の英祖(ヨンジョ)に扮した映画が『王の運命 -歴史を変えた八日間-』であった。
この作品は、英祖と息子の思悼世子(サドセジャ)との激しい葛藤を描いており、思悼世子はユ・アインが演じていた。
映画を見ても、思悼世子の気性の激しさがよく感じられるのだが、実際の思悼世子はどんな性格だったのだろうか。
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彼は幼いころから頭脳明晰だった。儒教の書物もすぐ覚えてしまうほど記憶力がすばらしかったという。
息子の頭の良さに感心した英祖は、思悼世子が10歳の頃から政治の重要な会議に参加させるようにした。
ただし、思悼世子は黙っていられない性格で、10代前半にして高官たちを怒らせるような発言もしてしまった。それは、いたずらに批判勢力を作る結果を生んだ。
素行にも大いに問題があった。
まず、思悼世子は酒を飲みすぎるうえに、酒乱の傾向があった。挙句の果てに、家臣に対しても暴力をふるうことが多くなった。
さらに、怪しい男女たちと遊興にふけることも目立っていた。
そうした行為が続く中で、徐々に精神が錯乱していった。そして、ついに思悼世子は息子であった恩全君(ウンジョングン)の母親を刺殺してしまう、という残忍なこともしでかしている。
この恩全君はイ・サンこと正祖(チョンジョ)の異母弟であったが、恩全君は母を殺した父をすごく恨み続けたという。
それは、無理もないことだ。いくら父親といえども、母親を殺されては絶対に許せない。息子としても、母親を心から偲ぶのは当然のことだ。
このように、思悼世子は問題ばかり起こしていたのだが、父の英祖は当初は息子をかばい続けたいた。しかし、あまりに素行が悪くなりすぎてからは、堪忍袋の緒が切れて、英祖は思悼世子を米びつに閉じ込めて餓死させてしまったのだ。それは1762年のことだった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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