韓国時代劇ドラマの金字塔として知られる『朱蒙(チュモン)』は、日本でも長年にわたり高い人気を誇ってきた。地上波やBSでの度重なる放送を通じて幅広い世代に浸透し、今なお語り継がれる名作である。
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本企画では、日本での反響やファンを惹きつけた背景を踏まえつつ、『朱蒙』にまつわる8つの印象的なエピソードを、前後編の2回に分けて紹介する。作品の魅力を改めて掘り下げたい。
ドラマ『朱蒙』では高句麗(コグリョ)を建国した朱蒙と扶余(プヨ)との対立が描かれているのだが、実際にその発端は何なのだろうか? 紀元前108年に古朝鮮が滅びたあと、朝鮮半島の北部から旧満州にわたっていろいろな部族国家が登場する。そのなかには現在の長春に扶余という国があった。高句麗の歴史はその扶余から始まったとされている。
東扶余の王であった金蛙王(クムワワン)の息子たちは、解慕漱(ヘモス)とユファとの間に生まれた朱蒙の優れた才能に嫉妬心を抱くようになり、殺害を企てる。身の危険を感じた朱蒙は卒本で都を開くと、少しずつ周辺地域を征服して高句麗を建国したというわけだ。そこから扶余の対立構造が生まれることになった。
高句麗は紀元前37年から668年まで長きにわたって存在した国家で、韓国の歴史においてもっとも強く、広大な土地を占有した国家として知られている。
もっとも栄えたころは、中国大陸の東北部から朝鮮半島の大部分を領土としている。そして高句麗の南西に存在した百済(ペクチェ)、南東の新羅(シルラ)とともに三国時代を形成した。高句麗は28代の宝蔵王(ポジャンワン)まで続いたが、最後は唐と新羅の連合軍により滅ぼされた。
文=韓ドラLIFE編集部
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