朝鮮王朝には27人の王がいたが、平均寿命を調べてみると、約46歳だった。王は最高の栄養を取っていたが、食べすぎと運動不足で病気がちな王が多かったのである。そうした事実を含めて、王たちの長寿と短命をランキングにしてみよう。
[長寿だった王]
1位 21代王・英祖(ヨンジョ) 82歳
2位 初代王・太祖(テジョ) 73歳
3位 26代王・高宗(コジョン) 67歳
朝鮮王朝27人の王のなかでもっとも長生きしたのは、名君として名高い21代王・英祖(ヨンジョ)だ。彼は30歳で即位してから崩御するまでの長きにわたって王として過ごした。ちなみに、英祖は在位期間も27人の王のなかでもっとも長い。
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英祖に続いて長寿なのが、初代王の太祖(李成桂〔イ・ソンゲ〕)だが、在位期間は6年と短い。なぜなら、元は高麗の武将だった太祖が、朝鮮王朝を建国して初代王となったとき、すでに彼は57歳の高齢だったからだ。
また、太祖の在位が短いのは、王位を巡って息子たちが争う姿にショックを受け、早々と隠居してしまったことが原因だった。
[短命だった王]
1位 6代王・端宗(タンジョン) 16歳
2位 8代王・睿宗(イェジョン) 19歳
3位 24代王・憲宗(ホンジョン) 22歳
英祖や太祖のように長く生きた王がいる一方で、朝鮮王朝には10代で亡くなった王が2人もいる。特に、6代王・端宗(タンジョン)の最期は悲しいものだった。
端宗は1441年に5代王・文宗(ムンジョン)の長男として生まれるが、母は産後の経過が悪く命を落とす。さらに、父である文宗も、彼が11歳のときに亡くなってしまう。こうして、端宗は若くして王となった。
端宗が不運だったのは、文宗の弟の首陽(スヤン)大君が、王位を狙っていたことだ。首陽大君は端宗の後継人たちを殺した後に王位を奪い、7代王・世祖(セジョ)として即位した。
世祖の強引な手口を認められない臣下は多く、彼らは端宗を復位させようと何度も計画した。終わることない復位運動に頭を痛めた世祖は、端宗を生かしておけば同じような運動が起こるとして、実の甥の命を奪ってしまった……。
こうして、端宗は16歳の若さで命を落とした。
一番長生きした王である英祖は、各派閥から公平に人材を登用する蕩平策(タンピョンチェク)と呼ばれる政治を進めた。これは、英祖の治世を代表する政策の1つである。
一方で一番短命だった王である端宗。もし、彼が長生きしていたら朝鮮王朝の歴史はどのように変わっていったのだろうか。
文=大地 康
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