まさに「血の抗争」。朝鮮王朝時代の後継者争いはなぜ荒れたのか

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朝鮮王朝時代には、王の後継者をめぐった争いが良く起きている。その後継者争いはどのようなことがきっかけで起きるのだろうか。

何よりも、朝鮮王朝の王は絶大な権限をもつ唯一無二の存在だけに、そこに群がる親族や家臣が欲望をむきだしにして争い、王の後継者をめぐって血が流れたことが何度もあった。後継者選びも一筋縄にはいかないのだ。

朝鮮王朝は“血の抗争”によって始まっている。

1392年に李成桂(イ・ソンゲ)が朝鮮王朝を建国して初代・太祖(テジョ)になったが、その後継者の座をめぐって彼の先妻の息子たちと後妻の息子たちが争い、1398年に後妻の息子2人は殺害されて先妻の息子たちが勝利した。そして、2代王・定宗(チョンジョン)と3代王・太宗(テジョン)になったのである。

(写真=映画『王になった男』韓国ポスター)

『トンイ』や『イ・サン』が描いている時代は?

始まりから物騒だった朝鮮王朝の後継者争い。王朝の前期には、さらに次のような騒動があった。

◆6代王・端宗(タンジョン)の叔父だった首陽(スヤン)が脅す形で王位を強奪した。

◆10代王・燕山君(ヨンサングン)がクーデターで追放され、異母弟が11代王・中宗(チュンジョン)として即位した。

◆12代王・仁宗(インジョン)は継母によって毒殺された可能性が高く、その継母の息子が13代王・明宗(ミョンジョン)になった。

◆15代王・光海君(クァンヘグン)は14代王・宣祖(ソンジョ)の側室から生まれたが、王に即位すると宣祖の正妻が産んだ異母弟を殺害している。

こうした騒動を経て、いよいよ朝鮮王朝は後期に入っていくが、韓国時代劇の『トンイ』や『イ・サン』が描いているのは、19代王・粛宗(スクチョン)から22代王・正祖(チョンジョ)までの時代である。

年号でいえば、1674年から1800年までの約125年間である。果たして、この期間はどういう時代だったのだろうか。

今回、紹介した後継者争いのことは、朝鮮王朝の前期に起きたことである。果たして、朝鮮王朝の後期ではどんな後継者争いが起きたのか。気になった方はぜひ調べてみてほしい。

構成=大地 康

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