『朝鮮王朝実録』は朝鮮王朝の正式な歴史書であり、歴代国王の言葉が細かく記されているが、詳しく調べてみると、国王によって発言の数にかなり差がある。
発言が極端に少ない国王がいれば、ずっと話し続けている国王もいるのだ。
その中で、一番言葉が多く記録されているのは誰だろうか。
それは、19代王の粛宗(スクチョン)である。『トンイ』ではチ・ジニが演じていて、粛宗はよくしゃべっているのだが、それが現実でもまったく同じだった。
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しかも、粛宗はとても言い訳がうまい。彼は女性問題でトラブルをよく起こしたが、その際に重臣たちの反対を必死に丸め込もうとしていた。
具体例を出そう。
1689年4 月に粛宗は仁顕(イニョン)王后を廃妃(ペビ)にしたが、その際にも大反対する重臣たちにこう弁明した。
「世も末になればなるほど人々の心もすさんでくるものだが、なぜ余がこのような状況を甘んじて受けなければならないのか」
「何よりも、王妃は妬みが強すぎるのだ。余は閉口するばかりだった。なにしろ、王妃は余にこう言ったのだ……夢の中で先王(18代王・顕宗〔ヒョンジョン〕)と先后(明聖〔ミョンソン〕王后)にお会いしましたが、お二人は私に『王妃は福と子供に恵まれるでしょう。けれど、淑媛(スゴン/張禧嬪〔チャン・ヒビン〕のこと)は福がないのです。それだけではなく、長く宮中にとどまっていれば、良からぬ人々と結託して国にわざわいをもたらすでしょう』とおっしゃいました……と」
「婦人の妬みというのは昔からあることだが、どうして王妃は先王や先后の言葉を利用して、そんな恐ろしいことを平気で言うのだろうか。こんな人間は古今を通しても、そんなにいるものではない。嫉妬するだけでなく、王妃は余をだまそうとしたのだ。余にこれ以上何ができるというのか」
このように一方的に粛宗は言い訳を言って、仁顕王后を廃妃にしたのだ。その5年後、粛宗は王妃に昇格していた張禧嬪を側室に降格させて、再び仁顕王后を王妃に戻した。
1694年4月12日、粛宗は重臣たちにこう言った。
「最初は奸臣たちにそそのかされて間違って処分してしまったが、ようやく本当のことを悟った。恋しくてもどかしい気持ちは時間が経つごとに深くなり、夢で会えばそなたが余の服をつかんで涙を流していた。起きてからそのことを考えれば、一日がむなしいばかりだった。そのときの心境をどうやってそなたが知るというのか」
「昔の縁を再び結ぼうとしたのだが、国家に関わることを処置するのは簡単ではない。辛抱して5年が経ったが、ようやく凶悪な者たちを処分することができたので、王妃をこうして移すことができるようになった」
このように、粛宗は5 年前に徹底的に非難した仁顕王后を一転した擁護した。いわば、言い訳だらけの国王だったのだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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