韓国時代劇を長く見てきて、「従来の時代劇と違う新しいスタイルを作ったのでは」と感心した作品が二つある。
一つは、2011年に制作された『王女の男』。歴史的な事実を現代的な感覚で捉え直した手法と壮大なオペラを思わせる映像と音楽の融合に心から感心した。
【知られざる真実】ドラマ『赤い袖先』で描かれなかった史実とは何か
それから10年。さらに時代劇を進化させたのが『赤い袖先』だ。チョン・ジイン監督の力量には本当に感服させられる。
まず、選んだ題材が卓越している。本来、「イ・サンと宮女の愛」を描くというテーマが強調されると、多くの人は名作『イ・サン』をイメージしてしまうので『赤い袖先』は他の作品と何かと比較される、という宿命を負ってしまう。
しかし、新しい表現スタイルを随所に見せてくれたことで、このドラマは視聴者を「過去への追憶」よりも「未来への可能性」へ誘うことに成功している。
具体的に言うと、ヒロインのソン・ドギム(イ・セヨン)の自立した生き方にスポットが当たったことが頼もしかった。
彼女はイ・サン(イ・ジュノ)が望んだ承恩(国王が気に入った宮女と一夜を共にすること)を二度も断り、死を覚悟してまで自分の主体的な判断を尊重していた。その姿をイ・セヨンが意志の強さがにじみでる表情で演じていたが、ソン・ドギムの小気味いい内面まで伝わってくるところが『赤い袖先』の痛快なところであった。
今までの時代劇は、ヒロインの女性を社会的に弱い立場に置きすぎていた。朝鮮王朝時代の男尊女卑の風潮を考えれば仕方がなかったのだが、現代から見れば、過度に女性の生き方が時代によって制約されていたという感が否めなかった。
しかし、制約が多ければ、それを突き破って力強く生きる女性もいるはずであり、『赤い袖先』のソン・ドギムがその先駆的な役割を担ってくれた。
男性の監督であれば、そこまで気が付かなかったと思われるが、チョン・ジイン監督は女性ならではの鋭い感性を生かして、時代劇の新しい扉を開いた。その点を高く評価したい。
さらに、映像美にも目を見張った。物語の前半でイ・サンとソン・ドギムが徐々に感情を近づけるシーンなどで見られる「色合い」「照明」にセンスが散りばめられていて、見ていて情感が豊かになった。
まさに、監督を中心にして撮影スタッフの英知を結集して作った時代劇という印象を強くした。
さらに特筆すべきは、イ・ジュノの演技であった。
前半の世孫(セソン)の時期、イ・サンは数々の不安を抱えていた。イ・ドクファが演じた英祖(ヨンジョ)から厳しい英才教育を受ける辛さ、王宮の反対勢力から攻撃される理不尽さ、そして、ソン・ドギムの心を奪えないもどかしさである。
こうした場面を演じているときのイ・ジュノは対人関係から受ける重圧を繊細に表現していたが、決して「屈服もせず妥協もしない」という強さを内面に内包していた。
それを映像として見せるシーンでは、撮影時のアングルとアップを巧みに使い分けて、息をのむほどの名シーンを作り上げていた。
こうした映像の数々によって、視聴者は世孫の苦悩を我がことのように感じ取れたのではないか。この親近感こそが、ドラマに深入りできる快感を呼ぶ。言葉を替えれば、心地よく感情移入できる部分が多かったことが、『赤い袖先』をまれにみる傑作に導いていったのかもしれない。
実際、『赤い袖先』は今後の時代劇の「新しいスタンダード」になれるドラマに違いない。その影響力は、はかりしれないほど大きい。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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