朝鮮王朝の世子(セジャ)というのは皇太子のことだ。国王がもし亡くなれば、すぐに次の国王になれる身分だ。それだけに、王朝のナンバー2として大変な権限をもっている。
しかし、誰もが無事に国王になれるわけではない。歴史的に見ると、世子でありながら、資格を剥奪された人が結構いる。そういう意味では、薄氷の上を歩くような危うさをもっている存在でもあった。
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ドラマを見ていても、世子の危うさはよく出てくる。たとえば、『100日の朗君様』ではド・ギョンスがイ・ユルという世子に扮していたが、暗殺されそうになって記憶喪失にもなっている。ドラマで世子のピンチを大々的に描くのも、この身分がいかに危うかったかを物語っていた。
史実を見ると、王朝の長い歴史の中で、悲劇的な最期を迎えた世子が3人いる。それは誰かと言うと、昭顕(ソヒョン)世子、思悼(サド)世子、孝明(ヒョミョン)世子だ。
まず、昭顕世子は、朝鮮王朝を屈服させた清の人質となり、1637年から1645年まで軟禁されていた。1645年に解放されて朝鮮王朝に戻ってきたが、わずか2カ月で急死してしまった。父親の仁祖(インジョ)とその側室に毒殺された疑いがきわめて高い。両者と昭顕世子の仲があまりに悪かったからだ。
次は、思悼世子だ。彼が悲惨な事件で餓死した出来事はあまりに有名だ。なんと、父親の英祖(ヨンジョ)は米びつの中に息子を閉じこめてしまった。素行の悪さを責めたてたわけだが、餓死してしまった思悼世子の無残な死は、王朝最大の悲劇であった。
最後に取り上げるのは、孝明世子である。彼は、『雲が描いた月明り』の主人公であったイ・ヨンのモデルだ。ドラマではパク・ボゴムが扮していた。
頭脳明晰で18歳のころから政治を仕切り、人事面で手腕を発揮した。国王になれば名君になるのが間違いなかったが、わずか21歳で急死してしまった。本当にその死は多くの人に惜しまれた。
昭顕世子、思悼世子、孝明世子……。みんな才能がすばらしかった。彼らが国王になって政治を行なえば、朝鮮王朝は発展したと思えるのだが、その点が残念だった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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