『赤い袖先』でイ・セヨンが演じた宜嬪・成氏は世子の母としてどう生きたのか

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朝鮮王朝で世子(セジャ)というのは、国王の正式な後継者を指している。つまり、将来の国王になる身分だ。当然ながら、世子の母親は将来的には国王の母親を意味している。女性として大変な名誉であった。

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大人気となった『赤い袖先』でヒロインとなった宜嬪・成氏(ウィビン・ソンシ)は、イ・ジュノが扮した22代王・正祖(チョンジョ)の側室だった女性だ。

彼女は10代の宮女のときから正祖に愛されていたのだが、承恩(国王が気に入った女性と一夜を共にすること)を受けても拒んでいた。それは、孝懿(ヒョウィ)王后を気遣っていたからだ。この王妃には子供がいなかったので、宜嬪・成氏は自分が正祖の愛を受けることができない、と固く心に誓っていた。

本来、宮女が国王の承恩を受けないのは大問題となるところだが、正祖は宜嬪・成氏の気持ちがわかっていたので、あえて処罰しようとしなかった。

ただし、正祖が30歳近くになってくると、国王に後継ぎがいないという状況は「王朝の危機」だと見られるようになった。

結局、宜嬪・成氏が正祖の愛を受け入れて、2人は夜を共にするようになった。確かに、妊娠はしたのだが、二度も流産してしまった。

(画像提供=MBC)

胸に迫る哀感

そして、三度目に王子が生まれた。それは、1782年9月7日のことだった。さらに、2人の間には娘が生まれた。しかし、その娘は2カ月ほどで亡くなってしまったが……。

王子は大切に育てられて1784年7月に正式に世子となった。名前は文孝(ムニョ)世子だった。

こうして、宜嬪・成氏は世子の母親として側室の中でも別格の立場になった。

ただし、文孝世子の冊封は本当に異例だった。本来、世子は5歳くらいに選ばれるのだが、文孝世子はまだ2歳にもなっていなかったのだ。王家としてかなりの焦りが感じられる冊封であった。

それでも、文孝世子がスクスクと育ってくれたら、王家はどんなに幸せだっただろうか。

しかし、世の中は無情だ。文孝世子は1786年5月に命を落としてしまった。まだ4歳にもなっていなかった。

正祖は号泣したが、悲劇はそれだけでは済まなかった。息子に引き続き、母の宜嬪・成氏も後を追うように1786年9月14日に亡くなった。そのとき、彼女は妊娠中だったと言われている。相次ぐ悲報に正祖は、この世のすべての悲しみを背負ったように嘆いた。

こうした事実を知ると、『赤い袖先』というドラマの哀感がいっそう胸に迫ってくる。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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