【宮中の悲劇】『赤い袖先』でイ・サンの側室となった宜嬪・成氏の波瀾の人生

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『赤い袖先』でイ・セヨンが演じたヒロインのソン・ドギムは、やがてイ・ジュノが扮したイ・サンの側室となって宜嬪・成氏(ウィビン・ソンシ)を名乗るようになった。ドラマでの描き方と違って歴史的にはどんな女性だったのだろうか。

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1753年に生まれた宜嬪・成氏。10代の宮女の時代からイ・サンの深い愛を受け続けていた。しかしながら、彼女は承恩(国王や後継者が気に入った女性と一夜を共にすること)の誘惑を固く拒絶した。その背景には、子供を持たない孝懿(ヒョウィ)王后への気配りがあった。心の中で、自分がイ・サンの愛を独り占めすることなどできないと刻み込んでいたのである。

通常、宮女が国王の承恩を拒むことは、大変な問題となる行為だが、イ・サンは宜嬪・成氏の純粋な心を理解しており、彼女を処罰しなかった。しかし、イ・サンが30歳に近づくと、後継ぎが不在という事態が王朝の存続に関わる危機となった。

結局、宜嬪・成氏はイ・サンの熱い愛を受け入れ、2人の間には深い絆が生まれた。しかし、彼女は二度の妊娠と共に、二度の流産の悲劇を経験することとなった。そして、1782年9月7日、待望の王子がこの世に誕生した。続いて、彼女は娘を授かるが、その娘は2カ月足らずでこの世を去った。

文孝(ムニョ)と名付けられた王子は、1784年7月には早くも世子となった。通常5歳で選ばれる世子が、文孝世子の場合、わずか2歳での選出であった。まさに異例の冊封だった。

『赤い袖先』でイ・セヨンが演じたソン・ドギム(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

悲劇的な運命

もし、文孝世子が順調に成長していれば、王家の未来は明るかったが、厳しい運命が待っていた。1786年5月、文孝世子は短い生涯を終えてしまった。その悲劇は連鎖して、母である宜嬪・成氏も1786年9月14日にこの世を去った。

彼女は妊娠していたのだが、新しい命を迎えることができず、自らの生も燃焼し尽くしてしまった。享年は33歳。彼女の生涯は国王に愛されるという本当に美しいものであったのだが、最後は惜しまれながら悲劇的に人生を終えた。

文=大地 康

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