古代の新羅(シルラ)には歴代で3人の女王がいたが、その中で最初に王位に就いたのが善徳(ソンドク)女王であった。彼女は、イ・ヨウォンが主演した『善徳女王』(全62話)で克明に描かれている。
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もちろん、娯楽性が強いドラマなのでフィクションが多いのだが、庶民のために素晴らしい政治を行ったというところはドラマも史実も同じだった。特に、農業が不振のときは積極的に減税を実施して民衆の暮らしをサポートしていた。そういう意味では、史実の善徳女王は「傑出した名君」であったと言える。
朝鮮半島で最古の歴史書と言われる『三国史記』で善徳女王は以下のように書かれている。
「名は徳曼(トンマン)で、真平王(チンピョンワン)の長女である。徳曼は生まれつき情が深く、明敏であった。王が亡くなって子供がいなかったので、みんなに推挙されて王になった」
このように、即位に至る経緯が紹介されている。
ドラマの『善徳女王』で徳曼は双子の妹という設定であったが、これは史実と違っている。『三国史記』の記述によると、彼女は真平王の長女で632年に即位しているのだ。
彼女はとても霊感が強かったと言われている。ある夏の日、王宮の西の池に大量のヒキガエルが集まっていた。その時、善徳女王はヒキガエルを見てこう言った。
「ヒキガエルが怒ったような目をしている。きっと兵士の相を表しているはずだ」
そう言った彼女は、新羅の領土の西に百済(ペクチェ)の兵士が迫っていると直感した。素早く善徳女王は国境に兵をたくさん送った。すると、百済の兵が国境の谷に潜んでいることがわかった。
彼らは油断していたので、新羅軍が百済軍を急襲して全滅させた。これも善徳女王に霊感があったから実現できたことなのだ。
他にも、ドラマに出てくる有名なエピソードがある。それは643年のことだ。善徳女王が唐に支援を求めたとき、唐は冷たかった。
さらに、「女性が王になっているから隣国から軽んじられているのだ。うちの王族を派遣するので、新羅の王にしたらどうか。そうすれば援軍も送ってあげる」と言われてしまった。
善徳女王は決心した。
「他国に頼ってはいけない。我が国は自分たちで強くしよう」
そう言った彼女は新羅の兵を鍛えて強い国に導いていった。善徳女王は647年に亡くなったが、彼女が在位していた間、新羅は富国強兵に成功していた。
【善徳女王の人物データ】
生没年
?~647年
主な登場作品()内は演じている俳優
『三国記-三国時代の英雄たち-』(キム・ヘジョン)
『善徳女王』(イ・ヨウォン)
『大王の夢』(ホン・ウニ)
文=大地 康
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