【『トンイ』の裏エピソード】母に溺愛された粛宗は母の死後に何をしたのか

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ドラマ『トンイ』でチ・ジニが演じた19代王・粛宗(スクチョン)。彼が国王になったのは1674年のことだった。このとき、母親の明聖(ミョンソン)王后は32歳だった。

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彼女は王妃としてエリート中のエリートだった。というのは、「世子嬪→王妃→王の母」というステップを順調にこなして大妃(テビ/国王の母)になっているからだ。

意外と思われるかもしれないが、「世子嬪から王妃へ、そして、王妃から大妃になる」というのは本当に難しかった。それを実現させた明聖王后は極端にプライドが高い王族女性であった。

性格もかなりわがままだったと言われている。女性の立ち入りが禁止されている庁舎にまで入り込んで、閣議に口を出したりしていた。

あまりに態度が横暴だったので、高官たちから厳しい抗議を受けたこともあった。

『トンイ』ではチ・ジニが粛宗を演じてイ・ソヨンが張禧嬪に扮した

母の指示を守らない粛宗

そうした批判を受けても、明聖王后は決してひるまなかった。たとえば、粛宗が張禧嬪(チャン・ヒビン)に熱を上げると、明聖王后は張禧嬪の欲望の強さを見抜き、「あの女を近づけてはいけない」と息子に警告を発した。

それでも粛宗が従わないと、すぐに張禧嬪を宮中から追い出してしまった。

とにかく、明聖王后は粛宗を溺愛した。それだけに、粛宗が熱病におかされたときは冷静さを失ってしまった。

彼女は巫女から「母の体内にわざわいがあり、それが息子の病の元になっている」と指摘されると、水浴びを繰り返して悪霊を自分から追い払おうとした。

ところが、真冬だったので水があまりに冷たかった。それで、からだを衰弱させて、ついに絶命してしまった。41歳のときだった。

けれど、その死は決して無駄ではなかった。粛宗が熱病から回復したからだ。いわば、明聖王后は息子の身代わりになったと言えるかもしれない。

生き返った粛宗は母に感謝したが、そのあとはすぐに張禧嬪を王宮に呼び戻している。明聖王后によって王宮から追い出されていた彼女は、明聖王后が亡くなったことで復帰することができた。母から溺愛された粛宗は、母の指示を最後まで守らなかったのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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