張禧嬪が「悪女の代名詞」と呼ばれる本当の理由は何なのか

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518年間の歴史を誇った朝鮮王朝。統治の中枢を担った王宮では、名だたる悪女が関与して政治が混乱することが多かったが、そんな悪女たちが出てきた背景には何があったのか。

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根本的なことを言うと、儒教を国教にしていたことが大きかった。

儒教の最高の徳目は「孝」である。わかりやすく言えば、王といえども民衆の模範として両親や祖父母を一番に考えなければならなかった。

実際、王族の長老女性たちが政治に関与できたのも、儒教を国教にしていたからだ。儒教には男尊女卑を認めるところがあり、女性は低い身分に甘んじなければならないが、才能や野望がある女性はむしろ儒教を利用して成り上がっていった。

また、一部の女性にとっては「絶対に成功したいという野望」が活路を開いた。結果的に、女性が朝鮮王朝時代に自分の夢を叶えようとすると、悪女にならざるを得ない事情があったのだ。こうして朝鮮王朝時代には、悪女が肩書き中心の男性社会を逆手にとって野望を叶えていった。そういう意味で、悪女を通して朝鮮王朝の歴史を見ると本当に面白い。

そんな中で、悪女の典型と言われたのが、一介の女官から王妃にまで登りつめた張禧嬪(チャン・ヒビン)だ。

ドラマ『トンイ』ではイ・ソヨンが張禧嬪を演じた

意図的に悪女にされた張嬉嬪

彼女の人生はまさにドラマチックだ。

19代王・粛宗(スクチョン)は、正妻だった仁顕王后(イニョンワンフ)を離縁してまで、張禧嬪を王妃の座に登らせた。しかも、王の息子を産んでいたので、王の母になる可能性も高かった。それなのに、張禧嬪はわがままを通しすぎて王妃の座から転落し、最後は仁顕王后を呪い殺そうとした罪を問われて死罪になってしまった。

こんなに波瀾万丈な人生を歩んだ女性は朝鮮王時代に他にいなかった。

まさに、何度もドラマや映画の主人公になるほど無敵のキャラクターだったと言える。

とはいえ、張禧嬪が悪女と言われているのも不運な面がある。なぜなら、彼女を支持していた派閥が政争に敗れて対立する派閥が政権を取ったので、意図的に悪女に仕立て上げられたからだ。

もしも張禧嬪を支持する派閥が政権を取っていたら、張禧嬪は悪女とは言われなかったはずだ。

歴史は勝った人たちが都合いいように記録する。負けた人たちは悪評まみれになるが、張禧嬪は言われているほどの悪女ではなかった。むしろ、意図的に悪女にされたのだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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